大滝詠一、死去。(1/11 更新)

大滝詠一(大瀧詠一)が亡くなった。


十二月三十日。享年六十五。
解離性動脈瘤。
こちらはデイリースポーツオンライン。

 夕刻、家族と共に林檎を食べていた所、それを喉に詰まらせたという。
 今日の昼前に公となった情報らしい。僕はここ数日夜勤が続いているので寝ていた。三時頃に起きた所、携帯電話に E-メイルが六本も(ヴァイブレイターにしてあるので気付かず)。
 全て友人からのこの件の連絡だった。この場を借りて感謝。
 僕は、自宅PCに、「おおたき」を変換すると「大瀧詠一」と出す様に憶えさせている。
 佐野元春が自身のウェブサイトにコメントを出している。その日付けへのリンクをうまく張れなかった。2013/12/31の記事がそれ。
 彼にとって大瀧詠一は自分の背中を押してくれた存在。レコーディングではもっと我が儘に自分を出しても良い、出さなければいけないという事を教えてくれた存在。何より先輩後輩であり御互いがファンである。
 デビュー時に彼を力強くサポートしたのが、ナイアガラOBである伊藤銀次、サード『サムデイ』制作にあたり、「自分でプロデュースする」と決意する切っ掛けが、その直前の『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』への参加だ。
 佐野史郎が自身のウェブサイトにコメントを出している。
 彼は「はっぴいえんどBOX」では最もマニアな場所を担当している。ライヴ盤で「ええぞええぞ!」と言っているのは自分だと、大瀧詠一のラジオ特番にゲスト出演した際に嬉々として告白していた。
 「サイダー」「出前一丁」といった、知らずに耳にしていたものを考えに入れなければ、僕が大滝詠一の名を意識したのは1979年暮れか翌年。YMO の人気が爆発し、細野晴臣の以前の活動として NHK-FM横浜放送局が組んでくれたコーナーではっぴいえんどを知った時。「12月の雨の日」「はいからはくち(シングル・ヴァージョン)」がかかったのを憶えている。高橋ユキヒロはサディスティック・ミカ・バンド、坂本龍一は「千のナイフ」だったと思う。『ア・ロング・ヴァケイション』の前年。残念乍ら七十年代のナイアガラは完全に後追い。
 確かに十二月。でも(少なくとも関東南部は)雨の日ではなかった。風が不意に起こったかどうかは分からない。
 青山 純の追悼で、番組用選曲も兼ねて我が家の邦楽の棚をあれこれ見ている。『イーチ・タイム』に彼が参加しているのを確認したが、アルバム全体でのメンバー表記なので、どの曲で叩いているのか(複数のドラマーが叩いているものもある)迄は分からないなぁ、「All about NIAGARA」にも書いてなかった様な気がするなぁ、等と思いつつ、棚から出した所だった。「All about NIAGARA」も。そして「なんで『イーチ・タイム』『コンプリート・イーチ・タイム』のLPがそれぞれ何枚も有るんだ?」と自分の管理能力と記憶力の低さに呆れたり。
 それが一昨日、二十九日の事。
 そして昨日の夕刻、彼が林檎を食した頃、僕は家に居て、ぼうっと、寝たり起きたりしていた。その晩から翌日昼(つまり彼の訃報が流れだした頃)迄はずっと頭が痛かった。脱水症状だという自己診断から、水分補給をしつつ仕事を続け、帰宅後も横になっていた。
 で、目覚めたらこれだもんなあ。
 今、頭の中では「空飛ぶくじら」が。
空飛ぶくじら
/大滝詠一 1972
  作詞  江戸門弾鉄(松本 隆)
  作編曲 多羅尾伴内(大瀧詠一)
  歌   大滝詠一
くーじーるら。
-----------------------------------------------------------------
(18:30 頃更新)
 つい先日迄、「クリスマス音頭」で盛り上がっていた方(山下達郎も今回のライヴでひと節やっていた)も、今日はそれに続く、坂本 八名義での「お正月」を、発売された三十七年前からずっと、考えてもいなかった気持ちと共に聴いている事だろう。そして「Rock ‘n Roll お年玉」も。
 後年、『ナイアガラ・カレンダー』が自身の最高傑作であるとしている(「限界」という謙遜した形容もある)のには大いに納得した。初めて聞いた時からそう思っていた。まぁ僕が最初に聴いたのは ’81年リーミックス盤だけれど。
 「人見欣幸の音楽三昧」で、『カレンダー』全曲を毎月必ずかけるという一年をやった事があった(それに続いてジュリーとチャボでもやった)。
 この年末年始はかけないままであるのが悔やまれる。
-----------------------------------------------------------------
(19:21 更新)
 しかし、林檎か。
 ではリンゴ繋がりで金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」をどうぞ。
-------------------------------------
----------------------------
(19:40 更新)
 いま、細野晴臣の追悼コメント中の「残念にも程がある」というたった八文字で涙腺が決壊。一人でいる時で良かった。
-----------------------------------------------------------------
(2014.1.3. 更新)
ナイアガラ・トライアングル(vol.1)の二人
 伊藤銀次の公式ブログ。
 山下達郎の公式ウェブサイト。
 もし、店内でかかっていた『アド・サム・ミュージック・トゥ・ユア・デイ』(山下達郎のアマチュア時代の自主制作盤)に伊藤銀次が耳を奪われず、大瀧詠一のもとにそのレコードを持ち込まれていなかったら、後の音楽シーンは違ったものになっていただろう。僕も違う人間になっていただろう。
 縁というのは興味深い。
-----------------------------------------------------------------
(2014.1.9. 更新)
 山下達郎は、昨年八月から十二月迄のトゥアーで、ザ・ビーチ・ボーイズの「ゴッド・オンリー・ノウズ」をカヴァーしている。しかも完コピ。写経や模写に近い。其処から何かを(再び)学び取ろうとしているかの様な。
 彼はスレイ・ベルを演奏し乍ら歌っていた。直後のMCでそれを説明。「これはスレイ・ベルといって、大瀧詠一さんが大好きなやつ」と。客席にくすくす笑いが漏れた。
God only knows what I’ll be without you
 (from “God Only Knows” by The Beach Boys
  written by Tony Asher&Brian Wilson)
君無しだと僕がどうなっちゃうかなんて神のみぞ知る、だね

お前がいなくなったら俺がどうなっちまうかなんて、
 誰にも分かりゃあしねェぜ。ちっちっち。
  (宍戸 錠風)
 この曲の初出であるザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』は、若い頃に特有の不安や、十代の無垢さの喪失がテーマとなっているといわれる。あの音楽にこの歌詞があのメロディであのコーラスと共に出てくると、たまらないものがある。
 これが中高年の永遠の別れにも転用出来るとは思わなかった。
-----------------------------------------------------------------
(2014.1.11. 更新①)
(湘南ビーチFMウェブサイト、1/9 掲載分(1/8 付け)を転載)
 辛い訃報が続く年末年始だった。
 まさか大瀧詠一が六十五歳で亡くなるとは。

 七十年代のナイアガラは全て後追いだが、『A Long Vacation』の直前にはっぴいえんどを知る事が出来て(YMOブーム勃興時、細野晴臣の前歴としてラジオでかかり大好きになったのだ)、それからロンバケという順番だったのは幸運だった。

 僕からすると、彼はミュージシャン或いはプロデューサーというより、現代の思想家、哲学者だ。その一環として歌ったり曲を書いたりするというスタンス。単なる物識り、蘊蓄をためこみ偉そうに披露する輩とはスケールが違う。
 僕は彼のラジオや原稿での発言、音楽論にとても刺激を受けている。

 松本 隆が、松本/大瀧作のものに、なぜ謎のように「十二月」がでてくるのかがやっとわかったと書いている。
 近年、大瀧詠一は「自分のやっている事の理由に後で気付く事が多い。全部後付け」と話していたとは言え、「12月の雨の日」から始まった彼等の旅(細野、松本、大瀧が作っていた「12月の雨」に鈴木 茂がギターを加え、四人が揃った)の後付けというのは、あまりにも出来過ぎた話でキツい。

 その少し前にムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎も亡くなっている。そして年が明けたらフィル・エヴァリー(ジ・エヴァリー・ブラザーズの弟)の訃報。辛い年末年始。

-----------------------------------------------------------------
(2014.1.11. 更新②)
番組用にと、やっと色々と手元のものに細かく目を通し始めてい
る。
ラッツ&スター「夢で逢えたら」 1996
supervised by Eiichi Ohtaki
additional backing vocals:
 Chikuzen Sato
 Yasuhiro Abe
 Masayuki Suzuki
不覚、憶えていなかった。
竹善さん参加してたんですか。
-----------------------------------------------------------------
(2014.1.11. 更新③)
 年明けにフィル・エヴァリーも亡くなっている。新聞によっては大瀧詠一の葬儀を伝える記事の隣に訃報が載った。
 「大瀧さんが呼んだのでは」と友人。
 寂しいから御一緒しませんかと誘ったのだろうか。
(以降、後日加筆予定)
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸 (音楽紹介業)


人見 欣幸

音楽紹介業(ラジオ、活字、ライヴハウス、インタネット等で音楽を紹介)
1967年神奈川生まれ・育ち・在住
1978年より洋楽中心生活者
1991 文筆デビュー
1995 ナイル・ロジャーズにファンレターを渡す(交流開始)
1997 レギュラーラジオ番組開始
2011 Nile Rodgers/CHIC応援組織 "Good Times" を内海初寧と結成、同年よりウェブ番組 "Good Times TV" 開始(13年まで)
2019 新メンバーを加え、六月より "Good Times Tube" としてウェブ番組を復活

■favorite musicians:
Nile Rodgers,Bernard Edwars&Tony Thompson
山下達郎,伊藤広規,青山純&難波弘之
竹中尚人,加部正義&ジョニー吉長

GOOD TIMESをフォローする
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
訃報、悲報
スポンサーリンク
スポンサーリンク
GOOD TIMESをフォローする
GOOD TIMES | グッドタイムズ

コメント

  1. いち より:

    SECRET: 0
    PASS:
    ごぶさたしてます。

    大瀧さんがいなくなってしまいましたね。

    この方くらい戦後音楽を一曲ごとに因数分解して、素数それぞれの由来を語れる方は少なかったですよね。

    分母分子論とか普道はるみ説…もとい普動説とか、FM雑誌で読んでいた頃はピンときませんでした。

    今ごろになってナルホドと感じるのは、当時と比べてポップスが超多面体になってしまって、切り口の断面やそこから発する新機軸の光軸がだんだん狭くなってきて、僕の感覚でも追いつけるようになってきたということでしょうかね。

    余計な前口上が長くなりましたが、1/9の杉サマのアフパラに銀の字が出ていました。

    サンデー銀次でも前日に告知していたのでチェック済みかもしれませんがよろしければどうぞ。

    goo.gl/oH7xSF

    PW:前回に同じ

    本日から全国的に冷え込むので風邪など召されぬよう。

    では。 Like

  2. いち より:

    SECRET: 0
    PASS:
    1/18にクリス松村が関西ローカルの担当番組で大瀧詠一を特集していましたので参考までに。
    自分もこれから聞きますが Buffalo Springfield が出てくるような番組ではないので、気が向けば、といった感じですかね。

    http://goo.gl/0Bnhrg Like

  3. 和枝ちゃん より:

    SECRET: 0
    PASS:
    あんさん、わての心尽くしの柿の葉寿司を、なんや、うまいこと解凍でけへんようでおますなぁ。

    あてがいけずしてるんとちゃいまっせ。あんさんが堂々巡りしてはるんでっせ

    頭堅いのんにも、ばどがぁる…ですわ。

    はよなんとかせんと、リンク切れまっせ。

    ほな。

    Like

タイトルとURLをコピーしました