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【加筆】ジョージ・ドゥーク(デューク)、死去。 | GOOD TIMES | グッドタイムズ

【加筆】ジョージ・ドゥーク(デューク)、死去。

George Duke ジョージ・ドゥーク(デューク)
 が亡くなった。
八月五日。享年六十七。

代理人に拠ると、慢性のリンパ性白血病の治療を受けていたのだという。
又、愛妻を昨年亡くしており、その気落ちも影響していたのだろう。彼女に捧げるという形で三年振りのアルバムを先月発売したばかりだった。

こちらは MSN の記事。

 正直に書くと、熱狂的に聴いたミュージシャンではない。世代柄、熱狂的にチャートを追い掛けていた時期にヒット曲(Sweet Baby /Clarke-Duke Project etc.)を放ち、キーボード・マガジンを定期購読していた時期に表紙を含め多くフィーチュアされており、好きで聴いている作品のプロデューサーであったり参加ミュージシャンであったり、という距離感。

 フランク・ザッパとの仕事、ソロ、セッション・ミュージシャン等、色々な顔を持つ彼だが、僕にとってはプロデューサーとしての印象が強い。特に以下の二枚。

1983 BET CHA SAY THAT TO ALL THE GIRLS
    /Sister Sledge

1983 CONTINUATION
    /Philip Bailey
(邦題『アナザ・フェイス』)

 同じ年のアルバムだったとは気付いていなかった。

 それからこちらも好きな一枚だと思い出した。

1980 TWICE AS SWEET /A Taste of Honey
 ”Sikiyaki [スキヤキ ’81]” が収録されている事で有名。アルバム発売は前年だったが、シングル発売が81年だったのでこの邦題でシングル発売。

左:シスター・スレッジ(7th) 右:ア・テイスト・オヴ・ハニー(3rd)

因みに、”Dream On” という曲が収録されているが、ジョージ前年のソロ・アルバム『Dream On』収録のタイトル曲とは同名異曲。紛らわしいけれど。

ジャケット裏面の写真。
from L to R: Debbie, Kim, Kathy and Joni Sledge

この年、デビー二十九歳、ジョウニ二十八歳、キム二十六歳そしてキャシー二十四歳。
デビー、美し過ぎる。

フィリップ・ベイリー(1st solo)

その裏面。

EW&FっぽさとEW&Fっぽくない要素がバランス良く配された好盤。このバランスに落ち着かせたのはプロデューサーの功績が大きいだろう。

 ライヴは二回観ている。

1987 Japan Aid 2nd
 立川の昭和記念公園で行われたチャリティ・コンサートにて。ジェイムズ(ジェームス)・ブラウン、ディオ、ジョージ・ドゥークのスペシャル・バンド他。僕が JB を観た最初がこの日だった事もありとても印象に残っているコンサート。
 フランク・ザッパ・バンドで行動を共にしていたチェスター・トンプスン(トンプソン)がドラマーだったが、残念な事にザッパのレパートリーは披露されず。また、この前年に楽曲提供と編曲をした縁からジョージのセッションには西城秀樹も登場、その曲「New York Girl」や「ヤング・マン」を披露、エンタテイナーそして歌手としての実力を再認識した次第。流石はヒデキ、お祭り男らしい盛り上げを提供した。感激〜。

そして、

1990 Stanley Clarke/George Duke
 スタンリー・クラーク/ジョージ・ドゥーク、又はザ・クラーク/デューク・プロジェクト(以下 “CDP”)がサード・アルバムを発表した後の来日公演。
 この時は、僕はコンサート会場の「バイト君」でもあり、楽器やPA、照明、セットの搬入やセッティングも手伝った。職権乱用で楽屋へ御邪魔してサインも貰った。ドラマーはデニス・チェインバーズだった。

 これがその時のサイン。もう一人(ギターリスト)は誰だったかなぁ・・・御存知の方、御連絡下さい。

 ライヴでの彼はプレイヤー、ジャズマンという想像以上のエンタテイナー、ショウマンだという印象が強かった。
 考えてみればショルダー・キーボードの使い手だもの。そりゃそうだと納得したものだった。

 宇宙に飛ばしちゃって、ボストンかよ。そう言えばボストンも彼もエピック・レコーズだった。

 「シャイン・オン」やその前年の CDP での大ヒット曲「スウィート・ベイビー」もそうだが、あの風貌や体格に似合わないファルセトー・ヴォイスが魅力。でも最初に「スウィート・ベイビー」を聞いた時は、良い曲だとは思ったのだが、EW&F “After the Love Is Gone” との共通点が気になって仕方が無かった。僕はここでシンガー/フロントマンとしての彼に夢中になり損ねた。
 まぁあの時期のブラックもの、特に西海岸製のそれは皆、EW&F とクインシー・ジョーンズのプロデュース作品を意識していたのだろうし、しかもジョージ・ドゥークはその直後にフィリップ・ベイリーのソロ・デビューに協力しているのだから、僕が気にし過ぎていただけなのだろう。

 死去を知った翌日に知ったのだけれど、生前最終作となった『Dreamweaver』にティーナ・マリーが参加している曲が有った。七月十六日発売、日本盤も同月二十四日に出されたばかり。

Ball and Chain /George Duke featuring Teena Marie from 2013 album “Dreamweaver”

 とても良い曲だった。遺作『ビューティフル』収録曲よりも濃厚なのではないだろうか。
 今年の四月にBMRウェブサイトに載っていた記事の拠ると(今迄知らなかった)、ティーナと彼は一緒にジャズ・アルバムを作る計画を立てていたのだという。いや、それは既に動いていた。全曲を彼女が作曲し、二人で音を仕上げるというもので、一曲だけ録音をしてあった。それがこの「ボール&チェイン」。

 「ポップ・ミュージシャンが自作曲でのジャズ・アルバム制作」というと僕はジーノ・ヴァネッリを連想するが、確かにジーノを想起させる音楽性、そして「ジャズっぽいというだけで彼女(彼)の世界から逸脱する作品ではない」という共通項も感じた。両者共、もとからジャズ・スタイルの曲もアルバムに織り込んだりしていた訳だし。
 他の曲も、アルバムとして完成したものを聴いてみたかった。その共同作業もあの世で再開していると信じたい。

 という訳で、僕は「誰それとの仕事で印象深い」という人物としてジョージ・ドゥークを捉えている傾向が昔から有る為、本稿も「追悼記事としてはどうなんだろう、これは?」という内容になって了った。でも、急に「大ファンでした」と嘘をついて取り繕う気にはなれない。第一、故人に失礼だしね。
 ソロ/リーダー作は十枚も聴いていない。大体、九十年代以降、今年に至る迄、二〜三年置きでコンスタントにアルバムを発表し続けていた事さえ知らなかったのだ。

 冒頭及び中盤で記した通り、プロデューサー或いはプレイヤーとしての彼に僕は関心が有った。訃報に際し先ずプロデュース作品が数枚浮かんだというのが何よりの証拠。

 冥福を祈ります。そして一年先にあの世に行って待っている奥様と再会しています様に。

人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’13. (音楽紹介業)

人見 欣幸

音楽紹介業(ラジオ、活字、ライヴハウス、インタネット等で音楽を紹介)
1967年神奈川生まれ・育ち・在住
1978年より洋楽中心生活者
1991 文筆デビュー
1995 ナイル・ロジャーズにファンレターを渡す(交流開始)
1997 レギュラーラジオ番組開始
2011 Nile Rodgers/CHIC応援組織 "Good Times" を内海初寧と結成、同年よりウェブ番組 "Good Times TV" 開始(13年まで)
2019 新メンバーを加え、六月より "Good Times Tube" としてウェブ番組を復活

■favorite musicians:
Nile Rodgers,Bernard Edwars&Tony Thompson
山下達郎,伊藤広規,青山純&難波弘之
竹中尚人,加部正義&ジョニー吉長

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