Clyde Stubblefield クライド・スタブルフィールド が亡くなった。
二月十八日。享年七十三。腎不全。
こちらはローリング・ストーン誌のウェブサイト。
こちらはローリング・ストーン誌のウェブサイト。
ここ数年、JBの伝記映画、ドキュメンタリー映画が続いたせいもあるのだろうが、全盛期のJBを支えた彼にまた強い関心が向いている所だった。
あの素晴らしいボックス・セット “Star Time” を出しっ放しにしてあって、よく聴いている。
映画関連もあり、番組でもよくかけていた(過去形にしたのは、昨年春で担当していたシーク及びブラック・ミュージックの専門番組が終了したからだ)。
また二日前、金曜日の夜に、局の仲間と「カウントの入っている曲」として「ファンキー・ドラマー」を話題にしたばかりだった。その声の主は勿論JBだがドラマーはクライド・スタブルフィールド。曲名からして明確だが彼が主役の曲な訳で。後年のJBの好編集盤 “In the Jungle Groove” には同曲のドラム・パートを抜き出したリーミックスも収められる程の。
JBの「全ての楽器をドラムズとして捉える」という発想の中心には勿論ドラムズが。その時期のドラマーがジョン “ジャボ” スタークスとスタブルフィールド。
「多くのファンクは各メンバーが自由に演奏している感じがあるが、(その始祖たる)JBのバンドはまるで軍隊の様な統制のもとに演奏しているのが大きく違う」という指摘を山下達郎がラジオ番組でしていた(細部ママ、文責筆者)。
補足をするならばJBとEWF(つまりモーリース・ワイト)は統制したがるタイプのリーダーであったという事だろう。
スライ・ストーンやジョージ・クリントンは放任主義。ファミリー・ストーン(六十年代)のグレッグ・エリーコウは直線的なドラミングなのでまだ統制のとれたアンサンブルという気がするが、P-ファンクの多くの歴代ドラマーは我流でドッスンバッタンと叩く。
オハイオ・プレイヤーズのダイヤモンドはぎこちなさが魅力。まあバンド全体がそう。
アーニー・アイズリーも癖が強く、しかも変則パターンを編み出す天才(彼等もアンサンブル全体がなのだけれど)。
シークのトニー・トンプスンはシンプルなリズム・キープをロジャーズ&エドワーズから望まれたせいもあり、パターンとして特徴的なものは出さない。しかし彼はそれ以前に「ロック・ドラマー」なので、特にオカズの入れ方でジョン・ボナム的な引っ掛かりのあるドラミングになっている。その意味ではエアロスミスのジョーイ・クレイマーに近いと思う。
彼等にスタブルフィールドが与えた影響は大きいが、フォロワーのドラミングがぎこちない場合が多い中、ルーツといえるスタブルフィールドのドラミングはとてもカッチリとしている。しかもキッチリしている。動かざること岩の如し。
当然JBブランドだからなのだけれど、逆に、寧ろ彼のドラミングを得てJBブランドがより統制のとれたアンサンブルによるファンクを創造していったと取るべきだろう。
「コールド・スウェット」だもの。
「マザー・ポップコーン」だもの。
聴きゃあ解る。
聴いて解らない人は、・・・まぁこんな文章、読んでないだろう。解る人とだけこの想いを共有出来れば良い。特に訃報に際しての重いくて荒れた感情なんてね。
少々脱線するが、更に後の、ヒップ=ホップ以降の(彼のフォロワーといえる)ドラマーは対してとても巧い。ぎこちなくない。気持ち良い。ともすると気持ち良過ぎて流れてしまうと僕には思える。嫌いではないけれど、どこかツルンとして引っ掛からない。僕がザ・ブラン・ニュー・へヴィーズ(ジャン・キンケイド)もザ・ルーツ(クェストラヴ)を夢中になって聴いてい理由はその辺りなのかなあと近年思っている。
それは兎も角、JBが「ファンク」を生み出し広めた数年間にあたって、特に重要といえる働きをした、ミュージシャンとして彼の(文字通り)手助けをした重要人物がまた一人旅立って了った。
2002年から肝臓を悪くしており、その治療費を主に支えていたのはプリンスであったと、昨年のプリンスの死を享けてスタブルフィールドが語ったそうだ(僕は今回知った)。もしかしたらプリンスの死後、そのサポートが無くなり、治療に悪影響が出たのだろうか。だとすれば悲しい話だ。
兎も角、感謝しかない。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’17. (音楽紹介業)
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