Levon Helm リーヴォン(レヴォン)・ヘルム
が亡くなった。
四月十九日。享年七十一。癌。
亡くなる数日前に、長い期間の確執が伝えられていたロビー・ロバートスンが彼の病室を訪問し、長時間を共に過ごしたという、それをキーボードで入力しているだけで涙腺が緩む情報も伝わって来ている。
詳しくは日を改めて書きたい。
今は、「これでザ・バンドのリード・シンガー三名が向こうで揃って了ったという事実に呆然としている」とだけ。
(以降、四月二十三日加筆)
ザ・バンドをラジオで聞き、好きになった。1979年、中学一年の時。
一番最初に聞いた曲は何だったのだろう? 覚えてはいない。
最初に録音したのは「ザ・ラスト・ワルツのテーマ」だ。オーケストラ無し版。NHK-FM「朝のポップス」。1980年、中二の時。
その頃に深夜TVで映画『ザ・ラスト・ワルツ』が放送されたのだ。エリック・クラプトン、ロン・ウッド、リンゴォ・スターといった、ラジオや雑誌で知ったばかりの面々の動く姿を見る初めての機会だったと思う。他の出演者達=マディ・ウォーターズ、ニール・ヤング、ジョー二・ミッチェル、ボブ・ディラン等も同様。
ヴァン・モリスン、ザ・ステイプルズ、ドクター・ジョンに至っては存在そのものを初めて知った筈だ。あの風体、あのだみ声でピアノに向かいニヤつき乍ら「♪そじゃない?(Such a night)」と歌うドクターは本当に衝撃的だった(笑)。
そして当然、「動くザ・バンド」を初めて目にした。
ザ・バンドそしてゲスト達の虜になった。中学生の時にあの映画を観て、好きになれたのは本当に幸運だったと思う。七十年代以前のアメリカン・ロックに自然とさかのぼれたのは、そしてリアル・タイムのトップ40から急速に興味を失う切っ掛けとなったのはあの映画だ(※)
演奏をしていたザ・バンドの五人の中で、ヴィジュアル面で最も気になった=気に入ったのはドラマーだった。片方の肩を上げ、猫背で横のマイクに向かって歌い、♪カンカラカンカンカンカンカンカン(「カラ」がポイント)とシンバルを叩く。
つまり、リーヴォン・ヘルム。
『ザ・ラスト・ワルツ』のサウンドトラック盤は三枚組だったのでなかなか手を出せずにいた。最初に買った彼等の LP は中古で買った『ムーンドッグ・マティネー』だったと思う。貴方が同好の士であれば御察しだろう、中古盤店の「Bob Dylan/The Band」のコーナーにいつもあって安かったのがこれだから(笑)。当然、外国盤で、例の特殊スリーヴが付いていない奴。だから安かった。
やがて LP を揃え、VHS そして LD(!) で『ザ・ラスト・ワルツ』も入手。彼等はリード・シンガーが三人、担当楽器もよく変わるし、第一ルックスがよく変わる。ガース・ハドスン以外の四人の判別がつくのに時間が掛かった。
本来、バンド(バンド名としてのではなく)のファンならば「その中で好きなのは誰?」という贔屓が居るのは変な話。いわゆるアイドル人気のバンドならば別だけれど、特にザ・バンドの場合は、あのメンバーが全員揃っての、一纏まりでの魅力だと思うので。
しかし。
彼の追悼記事だからではなく、敢えて僕の贔屓を挙げるならばリーヴォン・ヘルムなのだ。
「皆で作った曲なのに作曲名は一人になってた」等と他のメンバーに言われるけれど、ロビー・ロバートスンが作曲面でリーダーシップを取っていたのは確かなのだろう。特に中期~後期、「ライヴやってりゃ俺達ゃ満足」という態度の、決して進歩的とは言えなかったメンバーの尻を叩き、緊張感の漲る名盤『南十字星』そして『ザ・ラスト・ワルツ』に到達するにあたってのロバートスンのリーダーシップは評価に値する。
「ザ・バンドのリード・シンガーはリチャード・マヌエール(マニュエル)だ」とメンバーも語っている。僕もそうだろうなと思う。レイ・チャールズ・フォロワーの中で最も優れた一人だろう。目立たないけれど効果的な彼のピアノもとても好き。
リック・ダンコウの少しナヨッとした声も魅力的だ。持ち歌と言える「It Makes No Difference」での名唱は永遠に語り継がれるだろう。ジェイムズ・ジェイマスン(ジェマーソン)やポール・ムカートニー(マッカートニー)の影響を強く感じられるブンブンと弾むベイス・プレイも素晴らしい。
唯一の歌わないメンバーであるせいもあってか、ガース・ハドスンの存在は地味ではある。しかし彼の全く独特のふわふわとしたオルガンやシンセサイザーなくして、彼等のアンサンブルは完成しない。楽典に明るい彼は、ロニー・ホーキンズのバック・バンド “The Hawks” 時代は他のメンバーの先生となりレッスン料を貰っていたという。
しかし僕が深夜映画で彼等を観た時から贔屓なのはずっとヘルムなのだ。
あの乾いていて明るい声質、上記した独特の叩きっぷり、何より楽しそうなその表情、眼の輝き。
案の定、好きな曲を思うと、彼がリード・ヴォーカル(多くは複数で担当しているが)の曲が多い事に気付く。
Don’t Do It
The Night They Drove Old Dixie Down
Ophelia
The Weight
Up on Cripple Creek
Rag Mama Rag
(以降、更に後日加筆予定)
(※)一方、ブリティッシュ・ロックをさかのぼるにあたっては、同じ頃(1981年春)に日本で TV放送された「カンボジア難民救済コンサート」が大きかった。ザ・フー、ウィングズ、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、プリテンダーズ、ロックパイル(ゲスト:ロバート・プラント)、ザ・クラッシュ、クイーン、エルヴィス・コステーロ&ジ・アトラクションズ、ザ・スペシャルズ…。パブ・ロック好きになったのはこの番組、このコンサートの影響だ。ライヴ盤も出ている(CD未発売)。
僕は中学三年生だった。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’12. (音楽紹介業)
コメント
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この間はどうも。。。訃報、それもちょと心にグサリとくるものばかりで辛いですね。俺も実はバンドの中ではレボンヘルムの歌声が一番好きでした。残念です。
気分をかえて、人見さんは、カンボジアLIVEのDVDはお持ちですか? この間すかぱーでオンエアしたのがありますがいかがでしょうか? それとこの間知ったのですが、Whoのあの時の完全収録のDVDがあるらしく、フルコンサートでやったんですね、あれは。海賊盤らしいので非公開コメントにしましたが、一度見てみたいですね。今度お時間がありましたら、また楽しいダベリをしましょう。もし、ご返信あるようでしたら、携帯もメールの方へお願いいたします。
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