ぐっと来るんだよなあ。
The Rolling Stones
Let It Loose
from Exile on Main St [1972]
1983年、僕は高校二年生だった。秋に行った他校の文化祭でザ・ローリング・ストーンズのコピー・バンドのライヴを観た。そのパフォーマンスにも感動したのだけれど、彼等が退場時のBGMとしてかけたこの曲にもかなりやられた。
その頃、僕はストーンズのレコードを順番に買っていた。でもまだこの曲には出会っていなかった。
僕がストーンズに強い関心を持ったはその四年前。
1979年の末、七十年代を回顧する長時間の特別番組がNHK-FMで放送された。確かDJは僕等のアイドル=山本さゆりと、彼女と同じく当時の「軽音楽をあなたに」に出ていた水野三紀と滝 真子だったと思う。
その番組で「サティスファクション」(←六十年代だけどね)と「ミス・ユー」がメドリーでかかったのだ。
これでノック・アウト。
「サティスファクション」はラジオで聞いており好きだった。なので彼等の他の曲であり知らなかった「ミス・ユー」をエアチェックするつもりでいた。それは僕が洋楽にハマる数ヶ月前の大ヒット曲。「少し古い大ヒット曲」というダサいタイミングだったからラジオであまり流れていなかったのだろうか、僕は聞いた事が無かった。
そしてその「ミス・ユー」にやられた。
ディスコ大好き、「アイム・セクシー」「ラヴィン・ユー・ベイビー」等のロッカーが挑戦したディスコものも大好きな洋楽ファンだったので全く違和感無し。
「サティスファクション」と「ミス・ユー」。二曲の間に横たわる十数年を思い、同じバンドでこうも変わるのか、でも同じ連中の音だと判るのは何故?等と色々と考えつつ、兎に角その歌と演奏に入って了った。
そして明けて ’80年。『エモーショナル・レスキュー』が出た。
買った。
何なんだ、この変な「ポスター・ジャケット」って。しかも変な色処理がなされたグチャグチャなアートワーク。正直、わけがわからない。
で、
ハマった。
A1「ダンス」やタイトル曲に「ミス・ユー」からの継続性を感じられた。ファンク、レゲエ、カントリーそしてエイト・ビートの(狭義でいう)ロックン・ロール等が詰め込まれている一枚だった。
まぁそういう音楽スタイル上のジャンル分けに気付くのは数年後になるのだけれど。
本作で彼等を知り、好きになったのは幸運だったと思う。それ以前からのファンは「ミス・ユー」やその一枚前の「ホット・スタッフ」で離れる人が多かっただろうし、その直前にロン・ウッドが参加したのを疑問視した人も居ただろう。もっとさかのぼればブライアン・ジョーンズ時代から知っている世代はミック・テイラーに代わった時点で駄目だったかもしれない。
僕はそんな事を知らずに、いきなりディスコ/ファンク/ファルセトー使いの「ミス・ユー」だった。逆にアルバムを聴いて「いわゆる典型的なロックン・ロール『も演る』バンドなんだなぁ」なんて思ったくらい。
でもそれらも気に入ったから、本作に外れ曲の無いアルバムだった。
『エモーショナル・レスキュー』はストーンズ史の中では地味な一枚というか、後回しにされがちな一枚というか、まぁそんな位置付けをされている。前作が『サム・ガールズ』、次作が『タトゥー・ユー』なので分が悪いといえばその通りなのだけれど、『アンダーカヴァー』『ダーティ・ワーク』と共に「駄目な八十年代の諸作」という扱いにされがちだ。
でもその頃が、まさに僕が一番夢中になって聴いていた時代なんだよなぁ(笑)。
確かにバンド内が、というよりミック・ジャガーとキース・リチャーズの仲がかなり悪かった時期ではあるけれど、その摩擦が作品には良い形で反映されていたと思う(ストーンズはいつもそうなんだけどね)。
で、僕はその時期を経て和解し、現在へと続く好調の足掛かりとなった『スティール・ウィールズ』で気持ちが離れちゃった。仲が悪い方が良い曲を書けるとは言わないけれど、ストーンズがストーンズのコピー・バンドみたいになっちゃった気がして。
その頃に僕個人に起きた変化もあった。初めてジェイムズ・ブラウンのライヴを体験し、ファンクしか身体が受け付けない数年間という悪いタイミングで出た「ロック・アルバム」だった。僕が最初にグッと来たディスコ/ファンク色が薄まったのにがっかりしたのだ。
そして、その頃に知り合った「ストーンズ・ファン」が苦手だった。会う人会う人、上記の「ブライアン最高〜」「ロックン・ロール、イェ〜」「スライダーズやろうぜ〜」というタイプの人達。そして音楽というよりもファッション、ライフスタイルとしてのストーンズ・ファンが多かった事にも辟易したのだ。
酒と煙草とロックン・ロールかぁ。ジャック・ダニエルズに髑髏の指輪かよ〜。こっちは酒は(一応頑張ったけど)飲めないし、煙草買う金が有ったらさ、カセットやレコードを買うんだよ。
という風に、ストーンズ・ファンとしての同志を見付けられなかったのも離れる大きな切っ掛けだった。ストーンズが嫌いになったんじゃなくて、ストーンズ・ファン、ストーンズに対する世間の評価のされ方にとても違和感を持ったというか。
さて。
話を戻して中学二年。放課後、教室の黒板に意味も無く
EMOTIONAL RESCUE
THE ROLLING STONES
と書きまくっていた記憶が有る。更に曲名も(暗記するわな、十曲ぐらいは)書き殴っていた。一緒に居る同級生(洋楽に興味無し)なんてお構い無し。勿論彼等も何も言わない。なのに書いてた。
どうかしている。
どうかしていたのだろう。まさにエモーショナルな救済が必要な状態だったのかも知れない(笑)。
あ、黒板に書いてたけど、ちゃんと消してたからね。だって、僕、代議員(学級委員)だったもの。理屈っぽい奴がロックにハマると面倒なんだよ。礼儀正しいのに頭の中が乱暴だから。
で、旧作を聴きたくなった。最初に感じた、あの「激変しつつ不変ともいえる十数年」の「間」を埋めたくなった。
折よく日本盤で六十年代のオリジナル・アルバムの再発売が始まった(¥2,000- 再発の時ね)。『タトゥー・ユー』の頃から、新作と並行して彼等の旧作もファースト・アルバムから順番に買い始めた。
小遣いの関係で毎月一枚というペイス。スーパートランプ『フェイマス・ラスト・ワーズ』や山下達郎『メロディーズ』等、時折他のレコードに浮気をしたりすると一ヶ月入手が遅くなる。でも御陰でじっくり聴き込めた。中古盤も知らない頃だったし。
どのアルバムも熱狂的に聴いた。面白かった。
どんなスタイルにも手を出して、それを「ストーンズ流」に取り入れる。決してテクニシャン集団ではないのを逆手に、様々なスタイルを自分流に、ぎこちなく自分に引き入れる強引さ。それが僕にとってのストーンズの魅力だ。
実はこの「ストーンズを順番に買う!」という決断には、同級生(クラスは違ったけど)で、数少ない洋楽友達であったTaroがザ・ビートルズを順番に買っている影響もあった。他の同級生は「人見って洋楽聞くんだろ? ノーランズで誰が好きなの?」という感じだったからね。彼女達の名前なんて知らないっての(笑)。
彼のザ・ビートルズに対抗して選んだのが、ザ・ビーチ・ボーイズでもB4のソロでもゼップでも、さかのぼってエルヴィスでもなくストーンズ
だったというのが、まぁロック・ファンとしてはまだまだ素直だったわなあ(笑)。
そんな訳で彼からビートルズをカセットに録らせて貰いつつのストーンズ収集。両者を時系列で並べて聴けたのは良かった。’67年迄のストーンズがいつもビートルズの少し後を追っていたのが手に取る様に解る(当時の英国勢はみんなそうだったと知るのはもう少し後)。でも『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の後追いであった『ゼア・サタニック・マジェスティーズ・リクエスト』が不評だった事が大きな切っ掛けとなってB4を追随するのをやめ、自らの足元を見直し、攻撃的でブルーズ色の強いロックへと足を踏み出す。ロックンロール或いはポップが「ロック」になった時期、その流れを作ったひと組が彼等だった。
それが『ベガーズ・バンクェット』。冒頭の「悪魔を憐れむ歌」を始めて耳にした時の感動といったらなかった。そして同時期のシングルが「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」だもの。「サティスファクション」「黒くぬれ」の悪ガキが悪い大人になって大復活したのだ。
さて、「レット・イット・ルース」。
冒頭に記した通り、僕がこの曲を最初に聞いたのは高校二年の秋。僕の中のストーンズ史は六十年代末の『ベガーズ・バンクェット』『レット・イット・ブリード』に差し掛かっている時期。よってこの曲には数枚の差でまだ辿り着いていなかった。
因みにリアル・タイムでの追っ掛けは『アンダーカヴァー』発売の数ヶ月前、ライヴ盤『スティル・ライフ』が最新。この ’81年のトゥアーをフィルムに収めた「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥギャザー」は横浜の映画館で観た。Taroと一緒に。入れ替え制ではなかったので僕は三回観た。Taroは二回で帰った。一緒に帰らなかったなんて酷い奴だね、僕は。
そして ’83年の暮れか ’84年初頭、高校二年の終わり頃、僕は『イクサイル・オン・メイン・ストリート』に辿り着いた。そこでやっと「レット・イット・ルース」を手に入れた訳だ。
「レット・イット・ルース」は二枚組LPのC面最後に登場するスロウ・ナンバー。ストーンズでないと、特にこの時期のストーンズでないと作れない曲だと思う。徹頭徹尾。
冒頭のギターから音がヨレている。イフェクターの話ではなく。
歌いだしの音程から外れている。
そして最後迄、自惚れも良い加減にしろという勢いでムード先行の歌い方。
歌詞はやさぐれている。
ドラムズも、リズム・キープからオカズから、行き当たりばったりというか覚えたてというか。
ベイスも音を探しつつ。大体、少しチューニングが怪しい。
タムタムをドカドカ叩くと音が割れちゃうし。
なのに、あまりにも美しい。カッコ良い。
控えめに入ってくるストリングズが効果的。
ピアノの入り方が絶妙。
ロッドの69年作「ハンドバッグズ・アンド・ザ・グラッドラグズ」
に似たフレイズ。
それどころか曲調全体が似ている事に今更乍ら気付いた。
因みにピアニストはロッドとも縁浅からぬニッキー・ホプキンズ。
(「ハンドバッグズ・・・」はマイク・ダボ)
「この曲の肝」と昔からいわれるコーラスが美しい。
同時期のハンブル・パイ、数年後のピンク・フロイド等と
重複するメンバー。
後半を盛り上げるホーンもシンプルだが効果的。
七十年代前半、ミック・テイラー期ストーンズに特有の格好良さ、ツッパった感じ、生意気さと成熟の絶妙なバランス、荒さ、優しさ、切なさ、熱さ、気怠さに溢れている。楽曲の良さ、演奏の良さ(つまりストーンズっぽさ)は勿論。
彼等特有の気怠さ、ダラダラした感じがあるのに完全なるロック。これは他のバンドには無い。
「レット・イット・ルース」だけでなく、彼等初の二枚組であった本作は本当に素晴らしい作品だった。いま列挙した美しさがアルバム全体にも当て嵌まる。
発売の頃、そして僕がそれを買った八十年代初頭(今から思えば発売から「僅か」十年後だ)はまだ「散漫」というのが一般的な評価だったそうだ。まぁ『スティッキー・フィンガーズ』の次作だからなあ。でも二枚組八十分なのだから、音楽性を絞ったら「単調」と言われるだけだろう。それはどんな二枚組も同じ。そして当然、CD収録時間を目一杯使った一枚ものも。
でもそんな評価なんて僕は知ったこっちゃない。
のめり込んだ。
その後も僕の「間を埋める計画」は続行され、『ゴーツ・ヘッド・スープ』から『サム・ガールズ』迄のアルバムを引き続き集める事で ’84年に完遂。’83年末に彼等はファンク・ロックの傑作といえる新作『アンダーカヴァー』を出し、彼等の「現在」は続いていく訳だけれど、『イクサイル』を超える熱中度で入り込むものには出会えなかった。
『イクサイル』以前はほぼ例外無く、新しく手に入れるアルバムを前作を凌ぐアルバムだと感じ、気に入っていたのに、その上昇角が『イクサイル』で横這い又は下降線となって了ったのだ。
(『イッツ・オンリー・ロックンロール』も『ブラック・アンド・ブルー』も、初期の『アウト・オヴ・アワ・ヘッズ』も『アフターマス』も、どのアルバムも僕は大好きだという前提で読んで下さいね)
昨日、『イクサイル』を久々に通して聴いた。本当に良いアルバムだなぁと改めて思う。
世間の評価が現在「ストーンズ最高傑作」となっているのなんて知らない。関係無い。どうせ十年後に影響力のある誰だかが「『ブラック・アンド・ブルー』が最高」と言うだか書くだかでもすれば、それに世間はなびくのだろう。
まぁその近年の高評価の影響で、真っ先に『イクサイル』のディーラックス・エディションが出て、この時期の未発表曲が蔵出しされたのは歓迎するべき事件だった。その未発表曲を三十五年以上の時を経て仕上げる(!)べく、ミック・テイラーを呼んだりして、それが昨年〜今年の五十周年記念興行へのテイラーのゲスト参加にも繋がっているのだし。
僕は最初に聞いた ’82〜3年頃からずっと本作がベスト。
冷静に考えれば、例えばこれからザ・ローリング・ストーンズをという方に「先ず一枚」として勧めるべきなのは『スティッキー・フィンガーズ』ではないかと思う。「ブラウン・シュガー』も『ワイルド・ホーセズ』も入っているのだし。
でもそういったバランス感覚なり「次世代への推薦」といった側面を省けば、個人の好みとしては矢張り『イクサイル』。
『スティール・ウィールズ』以降の彼等は一枚ごとにシンプルな路線とコンテンポラリーな路線に
振れているが、シンプル路線に戻る際は、おそらく『イクサイル』を手本としている。実際に『ヴードゥー・ラウンジ』の時は、プロデューサーのドン・ウォズが極めて具体的にそれを目指したのだという。僕は『ア・ビガー・バン』もその路線だと思う。
現在の、前よりはいくらか肥えた耳で聴くと、『イクサイル』は他よりも色々とアラも発見出来るアルバムだ。アンサンブルはかなりガタガタ、ドタバタだし、特にベイスは音を探り探り弾いているし、そもそもチューニングからして怪しい事も。一般的な意味では「曲作り途中という段階のラフなセッション」なのではないかとも思える。
このアルバムは当時キース・リチャーズが借りていたフランスはニース近辺(地中海側)の邸宅の地下室で主に録音されており(録音ブースは例のモーバイル・ストゥーディオ[スタジオ]を家に横付け[※1])、リチャーズ曰く「職場で寝泊まりしている様な」環境だった。ホーン・セクション他キーボード・プレイヤーも含め、メンバーやエンジニアも近所に宿泊、関係者が常時待機に近い状態で、常に誰かが音を出していたのだと思う。ザ・バンド他のウッドストックの連中が自宅に機材を持ち込んでレコーディングをしていたという「時代の流れ」があるのだろう。
古来(笑)、ザ・ローリング・ストーンズはテクニック面での評価は得にくいバンドだ。ロックという音楽に対する接し方の時点で、彼等を体質的に受け付けられるか否かは大きく変わる。
大体、ミック・ジャガーの歌にしても、音符通りに歌うという観点からすれば決して上手いシンガーのそれではない。なのにこの魅力は一体何なのだろう。R&R(広義)に過度なテクニックを求めるのはナンセンス。その匙加減は文字通り十人十色。
ザ・ローリング・ストーンズ(のアンサンブル)を好きになれる/許せるかは、その後の貴方のR&Rライフに於いて一つの基準・境界線を規定するものとなるだろう。最も譜面に落としにくい魅力を持つ音楽の一つといえると思う。
彼等の音楽は反射レヴェルというか、体質レヴェル、生理的に好きか嫌いかというレヴェルで、先ずその入口で受け入れる/入れないという判断を迫ってくる性格のものだ。
音楽もだけど、ストーンズって、ルックス、ファッション、美意識、風評(笑)という時点で駄目な人はホント駄目だもんね。
『イクサイル』は彼等の「素」が本当に正直に音盤に刻まれたものだと思う。ベイシックなレコーディング・セッションに、かなり慎重にオーヴァーダビングやミクシングが施されている事が現在では判明している。その作業で「ラフさ」つまり彼等本来の魅力を削ぎ落とす事無く仕上げた事が成功の大きな理由だろう。それは当時の彼等の約十年という絶妙なキャリア、三十代前半という年齢、時代(流行やレコーディング技術を含む)等が奇跡的な合致をみせていたからこそだと思う。
大抵は、最終的な仕上がり段階でこのラフさは隠されてしまう。それはこのセッション最大の魅力を隠す/捨てる事になる。
逆にラフさを残そうとし過ぎて未完成品みたいになってしまうという失敗もしていない。
似た傾向の少し後輩となるバンドでいえば、前者の傾向が強いのが、強権的なプロデューサーが居たレッド・ゼプリン、後者の傾向が強いのがリーダーシップに欠けたリーダーだったハンブル・パイ。ストーンズのバランスは本当に絶妙だ。
(ゼップもパイも、ロッドもスモール・フェイセズもフェイセズも僕は大好きだという前提で読んで下さいね)
後年のミュージシャンで、この域に音楽的な意味で最も近付いていたのは九十年代前半のザ・ブラック・クロウズだったと思う。セカンド『ザ・サザーン・ハーモニー&ミュージカル・コンパーニオン』サード『アモーリカ』からは崇高な響きさえ感じられる。彼等は登場時から「七十年代っぽい要素が強いどころか、まんま七十年代」と笑われつつ歓迎されていたけれど、この二枚で本当に確信犯的な勘違い(時代的な、そして当然のこと良い意味で)をしているのだという事を世間に認めさせた。活動形態や思想はザ・グレイトフル・デッドやジ・オールマン・ブラザーズ・バンドのそれに近く、音楽性はストーンズ、ゼップ、パイ、フェイセズ、ザ・フーといったブリティッシュの影響が強い(※2)。最初期のサポート・キーボーディストはオールマンズのメンバーでストーンズとも共演していたチャック・レヴェル(リーヴェル)だった。ジミー・ペイジとは殆んどゼップの再現というレパートリーで一緒にトゥアーを行ってもいる。来日が中止となったのは本当に残念だった。
またクロウズは現在のジャム・バンド一派とデッド、オールマンズを繋ぐ存在でもある。実際に彼等はガヴァメント・ミュールやテデスキ=トラックス・バンドと仲が良い。英国色の強いアメリカン・ロック・バンドとしては先輩であたるトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの前座になってもいる。
メンバー交代がかなり頻繁であるのがバンドとしては致命的だが、ヴォーカル、ギターそしてドラムズが不動(※3)であるという所はストーンズと共通しているというのが興味深い。僕はスティーヴ・ゴーマンのドラミングがかなり重要だと思っているので、彼等三人の結束が崩れない限り、僕は彼等を追い掛け続けるだろう。
ストーンズは彼等のルーツを独自のスタイルで受け継ぎ、以降の世代へ伝える「伝道師」としての役割を自覚している。そして彼等を聴き、彼等のルーツにもちゃんと遡る「優秀な後輩」によって『イクサイル・オン・メイン・ストリート』も受け継がれている。美しい。
そして、そういう風に受け継がれ、歌い継がれ、聴き継がれ、語り継がれるのが当然であるかの様に、このアルバムは本当に美しい。
ドロドロでボロボロで、酒臭くてハッパや薬物の匂いもプンプンで、地下室のどんよりした空気やじっとりとした湿気が満載なのに、美しい。これはロックでないと成立しない美しさだろう。
『Exile on Main St』
メイン・ストリートのならず者
The Rolling Stones
ザ・ローリング・ストーンズ
1972年発売
singles:
Tumbling Dice ダイスをころがせ
Happy
原題を直訳するならば「表通りの亡命者」。
ザ・ビートルズが解散し、ウッドストックでザ・フーがロックの象徴となり、それに対抗したストーンズが直後に開催したオル
タモントでのフリー・コンサートで殺人事件が起こり、ゼップが新たな王者となり・・・。そんな音楽界での自分達の立ち位置と、現実面での英国の重税から逃れるべく英国を脱出していた当時(ストーンズだけではない)、フランスとL.A.でレコーディングされた本作をとても上手く言い表している。「メインストリート」はL.A.のメイン・ストリートを指しているのだそうだ。
「ダイスをころがせ」も雰囲気でつけられた邦題。サビの歌詞をみれば「オイラを転がるサイコロって呼んでおくれよ」と、小林 旭か宍戸 錠かという世界。ちっちっち、いけねえぜ。
自分が世間に遊ばれている事を自覚した(そして踊らされている訳ではなという強い意志も込めた)ミック・ジャガーらしい。R&Rのギャンブル性を的確に捉え、そしておそらく「転がる石」とも引っ掛けた、とても優れた曲、歌詞、曲名だ。
「ハッピー」は御存知の通り、キース・リチャーズがリード・ヴォーカルを担当している。シングルにもなっており、ライヴでも中盤、キースのコーナー=ミック・ジャガーの着替え時間に披露される事が多い(ミックがそのまま舞台に残ってコーラスをつける場合もある)。
そして、「ギターリストもアルバム一曲、ライヴで一曲程度なら、下手でも『味』で許されるのだ」という悪しき伝統を作った一曲でもある(笑)。
ストーンズのCDは何度も再発売されている。日本盤でも定価が二千円を切っている事さえあった。
本作のオリジナルLPは二枚組だが総時間は短かめだったので、CD化当初から一枚に収められている。カット曲は無し。他の一枚ものLPのCDと同じ価格だったのでその時点でかなり御買い得だ。
出回っているCDの絶対数も少なくないと思う(※4)ので、リマスター等にこだわらなければ、中古CDでかなり安価で入手出来ると思う。
是非。
結局、『スティッキー・フィンガーズ』ではなくてこっちを勧めている・・・。冷静じゃないんだね。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’13. (音楽紹介業)
(※1)時期的に、このモーバイル・ストゥーディオで「イクサイル」の直前に録音されたゼップのアルバムは『IV』という事になる!
(※2)デビュー時にストーンズの前座を務めた際、ミックはロンに「おいおい、あそこにロッドが居るぜ! 隣にお前もな!」と笑って語ったそうだ。これ程の褒め言葉は無いだろう。
(※3)実は『ライヴ』(2001年のライヴ、翌年発売)後の活動停止はドラマー=スティーヴ・ゴーマンの脱退が切っ掛けだったそうだ。2005年の活動再開時の最初だけ別のドラマーが参加していたが直ぐにゴーマンが復帰している。
(※4)六十年代に「ストーンズはGSがカヴァーする代表格」であった時期を別とすれば、ストーンズの日本での人気は、実は八十年代半ば以降に本格化・一般化したと言えるだろう。よってCDは結構売れている筈だ。中古盤店での品揃えもかなり良い。
矢張り1990年の初来日が大きかった。この頃から「ス『トー』ンズ」ではなく「ス『トーンズ』」という平坦イントネイションが幅をきかせ始め、僕はそんな奴等が大嫌いだったのでますますストーンズ本体からも心が離れた。
コメント
SECRET: 0
PASS:
私には「メインストリートのならずもの」に魂を打ちひしがれる輩が周りにいません。。。
色々なこと音楽を聴いてきましたが、これ以上の作品は、私には無い、と思っております。17歳の頃からずっとですけど。
カーティスやらダニーハザウェイ、それ言ってりゃ音楽を分かってる、的なのもどうかな、と。
ゲットーの云々は音楽の高みとは別の話でしょう。
そういうのも良いとは思うけど、原始的な音楽の快楽、アメリカの憧れっぷり、心象風景の連想から、本当に心地よい作品は、
ならずものしかないんじゃないかな、と思う次第ですし、これに至った自分は、本当に幸せな発見が出来たような気がします 笑
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