先週に引き続き、
元スライ&ザ・ファミリー・ストーン
元グレアム(グラハム)・セントラル・ステイョン
として知られるラリー・グレアムが、
Larry Graham
&
Brian Culbertson
with the Funk All Stars
featuring
Sheldon Reynolds
and
Larry Dunn
として来日、先月末から今月初めにかけてライヴを行いました。それを記念しまして!
01 THE JAM /Graham Central Station (G) , ’75.
02 M’LADY /Sly & The Family Stone (S) , ’68.
03 I CAN’T STAND THE RAIN /G, ’75.
04 IT AIN’T FUN TO ME /Al Green, ’72.
05 IT AIN’T FUN TO ME /G, ’73.
06 RELEASE YOURSELF /G, ’74.
07 LIFE /S, ’68.
08 HEY MR. WRITER /G, ’74.
09 POW /Larry Graham and G, ’78.
10 I WANT TO TAKE YOU HIGHER /S, ’69.
&
THANK YOU (FALETTINME BE MICE ELF AGIN) /S, ’69.
EVERYDAY PEOPLE/S, ’69.
(番組の選曲は以下に記すライヴ内容に則してはおりません。)
いわゆるチョッパー ・ベイス(世界的にはスラップ ・ベイス、スラッピング・ベイスと言うらしいです)の開祖であるラリー・グレアム(以下グレアム)。アマチュア時代、ドラムズが居なくなった時にその打楽器パートを一人で補うべく始めた「弦を叩く、引っ張ってはじく」という、言ってみれば掟破りの奏法が七十年代にこれ程普及するとは、きっと彼自身も思っていなかっただろう。
六十年代後半、Sly and the Family Stone スライ&ザ・ファミリー・ストーンのメンバーとして表舞台に登場、初ヒット「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」からウッドストックでの熱狂を経て、かの「サンキュー」でのブチブチ・ベイスを更に進化・深化させる形で自らのグループ、Graham Central Station グレアム・セントラル・ステイション(GCS)を結成、七十年代を駆け抜ける。
当初よりワン・マン・バンド的な性格が強かった GCS だが、後期は殊更にソロ・プロジェクト的色彩を強めやがて解散、’80年よりグレアムはソロとして活動を行い、九十年代の GCS 再編(宮本典子加入!)、プリンスとの合流等、精力的な活動を続けている。
過去の GCS 来日公演を観て御存知の方も多いと思うが、彼はミュージシャンという以前に「素晴らしいエンタテイナー」だ。
兎に角、観客を喜ばせる事を第一義として舞台に立つ。否それ以前に客席から出て来る(笑)。
今回のライヴでの彼は後半のスペシャル・ゲスト扱い、と言うよりも後半は彼のショウだった。
そのライヴに就いて、前半も含めて記す。
set list:
SO GOOD
ALWAYS REMEMBER
THE GROOVE
GETAWAY
Larry Dunn’s kalimba solo
SERPENTINE FIRE
EW&F medley:
SHINING STAR
LET’S GROOVE
SEPTEMBER
AFTER THE LOVE IS GONE
THE JAM
IT AIN’T FUN TO ME
THE HOUSE OF MUSIC
FUNKIN’ LIKE MY FATHER
Larry Graham’s bass solo:
Earthquake
Sex Machine
etc.
〜THANK YOU FALETTINME BE MICE ELF AGIN
encore
I WANT TO TAKE YOU HIGHER
Brian Culbertson
ブライアン・カルバートスン(カルバートソン)が彼のバンドと舞台に上がり、ファンク・パーティーは幕を開けた。
ラリー・グレアム、ラリー・ダンと共にゲスト扱い名義であったシェルダン・レイノルズはむしろバンド・マスター的な立場で、最初から舞台に立っていたのだが、前回記した通りかなり痩せており、最初は彼だと気付かなかった・・・。
リズム・マシーンや(代用ホーンズ、代用ストリングズとして)シンセサイザー奏者が並ぶ、近年の多数派である人数が少なめのファンク・バンドと違い、メンバーの多い「人力ファンク」はその見た目の時点で燃える。それだけで楽しい。テクニックも有るので尚更楽しい。テクニックをひけらかし過ぎると醒めてしまうけれど、そのあたりの匙加減は絶妙だった。
ブライアンのキーボードが前方中央に置かれ、実に楽しそうに演奏する。ルックスが良く、「王子様〜」という感じの女性ファンの視線を最前部から浴びている。そういう魅力は大事だし、彼にとっても力となっているだろう。
失礼乍ら彼の音楽をちゃんと聴いた事は無かった。
彼の作品は とても小気味良い軽快なファンク で、Average White Band アヴァリッジュ・ワイト・バンド(アヴェレイジ・ホワイト・バンド)や Level 42 レヴェル42といった、白人による(良い意味での)研究発表的なファンクを連想した。もう少しちゃんとスタジオ盤を聴いてみたい。
尚、彼はトロンボーン奏者でもある。トランペット(ブライアンの父親!)、サックスとのホーン・セクションにもとてもキレが有り、各々のソロも素晴らしかった。
EW&F のザ・フィーニックス(フェニックス)・ホーンズをコピー出来ちゃうんだから、そりゃあもう優秀な訳ですよ。
ゲストとして Larry Dunn ラリー・ダン(以下ダン)が紹介されると大きな拍手が。EW&F 当時と変わらぬ「コ」の字型 に彼を囲むキーボード・セットが嬉しい。ディジタル・キーボードも見えるが、メイン・キーボードとして、まだ往年のエレピは矢張り置きたかったと見える。
ブライアンの曲とアース、ウィンド&ファイアー(EW&F)の曲を交えてショウは進行、途中、何とダンが カリンバ を手に舞台中央に立つ場面も。おいおいモーリース・ワイト(ホワイト)の許しを得てるのかよ?とツッコミたくなってしまった。
流石にナルシスト具合はモーリースには勝てないものの(笑)、見た目の派手さが無い小さな小箱(カリンバ)を手にするダンは中々に格好良かったし、勿論の様に良い音を出していた。
「ゲッタウェイ」「太陽の戦士」が演奏され燃えた。しかし続く「シャイニング・スター」からはメドリー。時間制限もあるし仕方が無いとは言え、少し「営業臭さ」を感じてしまった(最後が「アフター・ザ・ラヴ・イズ・ゴーン」であったというせいもある)。
まぁ EW&F のライヴでは無いのだし、更なる御大が控えているのだから仕方無いのだけれど。
という感じで前半は整然とした「ソウル・ショウ」が展開されていたのだが、ブライアンがいよいよもう一人のラリー=ラリー・グレアムの名を口にし、ショウは後半へ。
“line-height:1.0;”>GCS の以前のライヴ同様、グレアムはワイヤレスのベイス(勿論マイクが生えてる白い奴!)と共に客席後ろから登場。どうもこの人は客席から登場しないと気が済まない様だ!(※)
♪ベレベレベレベレベレベレベレベレベレ〜♪と「ザ・ジャム」イントロのトリルを延々と出しつつ客席を練り歩き舞台へ。その瞬間から「ファンク・ショウ」へと豹変。それ迄のオシャレな空気は一気にブチ壊された(笑)。
以降は殆んど「GCSのライヴ」だった。きっとバンドにライヴ・ヴィディオを見せてコピーさせたのだろう(※2)。グレアムの我の強さ(とブライアンの人の良さ)が窺える。
但し、
アンサンブル上、特に難易度の高い曲であると思われる「リリース・ユアセルフ」は残念乍ら披露されなかった。彼を語る上で外せない何曲かのうちの一つだと思うのだが、きっと練習する時間を作れなかったのだろうと推測。
ドラマーと二人でのベイス・ソロもたっぷりとフィーチュアされた(その内容も GCS でのソロ・コーナーとほぼ同じ)。再び客席へ入る彼は相変わらずとてもパワフルだった。
興味深かったのは 服装。
極めて普段着(風)であった若手に比べ、ダンとグレアムの ヴェテラン二人はしっかりとドレス・アップ。
舞台に上る人間としての世代的な姿勢の違いなのか(あのショウ・アップされまくった七十年代を通過してきた二人なので)、単に個々の気持ちの問題なのかは解らないが、僕は「二人は流石だ、偉い」と思ってしまった。
最後にスライ二連発(本編最後とアンコール)をキメてライヴは終了した。
これを良い刺激としてブライアンの音楽が益々ファンキーになる事を願って。
こちら→
は、GCS 末期の名曲、超絶スラップで知られる
「Pow パウ」収録
『My Radio Sure Sounds Good to Me』
(いかしたファンキー・ラジオ)
益々ワン・マン・バンド的色彩を強めた GCS 末期。
名義も
本作は「Larry Graham and Graham Central Station」
次作は「Larry Graham with Graham Central Station」
そしてバンドは解散、ソロへ。ファンク好きとしてはかなり寂しい八十年代が始まる。
(※)伝記「スライ&ザ・ファミリー・ストーンの伝説」によると、スライ&ザ・ファミリー・ストーン初期(レコード・デビュー前)から、バンドが楽器を持って並んで入退場するという事を行っている。
(※2)ちなみに1992年のGCS初来日公演はCDとヴィディオ・ソフトが発売されている(願・DVD再発売)。会場は新宿厚生年金会館。彼等は矢張り全員で客席から登場、鼓笛隊状態で通路を歩き舞台へ上がった。当時のヴォーカリスト、宮本典子はチア・リーダー役。
運良く彼等が通る通路近くに座席が有った僕は、実はその通過場面でバッチリとカメラに収まっている。大笑いし乍ら手を叩いている二十代半ばの動くワタクシが其処には記録されている・・・。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’09. (音楽紹介業)
コメント