October 30th, 2009. イシイ ポップス・イン・ザ・ボックス
提供:石井食品
vol. 605.
M1
16:03 TEQUILA SUNRISE
Eagles
M2
16:06 LONESOME LOSER
Little River Band
M3
16:10 MY HOMETOWN
Bruce Springsteen
M4
16:14 LOVEFOOL
The Cardigans
ミドル4:ニュー・エディション・ファミリー
M5
16:19 MR. TELEPHONE MAN
New Edition
M6
16:24 RONI
Bobby Brown
M7
16:30 MY, MY, MY
Johnny Gill
M8
16:35 SENSITIVITY
Ralph Tresvant
M9
16:42 PARADISE
Change
【日没ソング/本日の日没[東京]16:48】
M10
16:48 SATURDAY NIGHT
Bay City Rollers
M11
16:51 YOU ARE SO BEAUTIFUL 美し過ぎて
Joe Cocker
M12
16:53 NOBODY DOES IT BETTER 私を愛したスパイ
Carly Simon
ニュー・エディション(NE)の面々と僕はほぼ同い歳(比べないで下さいね[笑])。
バブル期が二十歳過ぎの頃という世代です。
Ralph Tresvant ラルフ・トレズヴァント(トレスヴァント)
Bobby Brown ボビー・ブラウン
Rickie Bell リッキー・ベル
Michael Bevins マイクル(マイケル)・ビヴィンズ
Ronnie DeVoe ロニー・ディヴォー
Johnny Gill ジョニー・ギル
1982年にレコード・デビュー。最初、五人組としてスタートした彼等は、ブラウンの独立により ’85〜’86年は四人組に、そして ’87年にギルが加入して再び五人になります。
ブラウンがソロとして大成功し、その直後にギルを迎えたNEも新たなファン層を獲得するのです。
ガイ
ジョディ・ワトリー
MCハマー(あはははは!)
グレゴリー・アボット
アル・B. シュア!
等の中で、NEとブラウンはこの時期のブラック勢の「顔」として活躍します(※)。
特にブラウンは日本でも洋楽ファンの枠をはみ出た人気を獲得。
「ボビ男」「ハマ男」っていう言葉が有りましたよね。凄い言葉(笑)。
そして ’90年、NE参加時の条件だったというソロ活動の継続をするギルと、コーラス隊によるヒップ・ホップ・トリオ「ベル・ビヴ・ディヴォー」が同時期に大成功、最後に残されたリード・シンガー、トレズヴァントも同年末にソロとしてヒットをものにします。ブラウンも含め、言わばサイド・プロジェクトが揃って成功するのも珍しい事、彼等の人気と音楽性の高さの証明でもあるでしょう。
キッズ・グループから、曲名の通りに「ボーイズ・トゥ・メン」(※2)へと成長した当時の彼等が、全米女子のハートを鷲掴みにした事は想像に難くありません。
日本でもソウル・ファンのアイドルとして、そして男性ソウル・メイニアックの間でも「プロデューサーがジャム&ルーイスやL.A.&ベイビーフェイスだし」そして「おお、ジョニー・ギル(※3)加入かよ」という理由から仕方無く(?)NEを聴く・認める人が増えたという気がします。
かくいう僕も、ギル参加直前の四人組期に発表されたドゥー・ワップのカヴァー盤で少し興味を持ち、ジャム&ルーイス制作そしてギル初参加盤である『ハート・ブレイク ( ’88)』で初めてちゃんと聴いたクチでした。素晴らしかった。
’91年、ソロ期のギルとトレズヴァントの来日公演は、どちらも観に行きました。
独立したブラウンも「ファミリー」としての関係を強調(レコード会社も同じでした)、’96年にはブラウンも参加しての六人組で復活。その後は五人になったり六人に戻ったり、数名で活動をしたりしています。
でも。
敢えて残念な点を書きます。
彼等にとって不幸だったのは、低音担当が居なかった事。声変わり前からの仲良し五人組に、変声期後、低音の出るメンバーが一人含まれていたら、彼等はもっともっと本格派のヴォーカル・ヴループとして、ドゥー・ワップ、ザ・テンプテイションズ、マンハッタンズ、いわゆる甘茶ソウル・ヴォーカル・グループという系譜を継ぐ者として活動出来たのに、と思うのです。コンビネイションはバッチリなのですから。
『ハート・ブレイク』時のライヴ映像を数曲観たのですが、リード二人の歌唱力、全員のスタイルとアクションの格好良さに追い付かないハーモニー(下手では無いのです)に嫌でも気付かされてしまいます。
昨年に続き、トレズヴァント、ブラウン、ギルが三人組として来日します。
今回の「ミドル4」はキッズ時代の一曲と、来日する三人の各ソロ曲で構成してみました。
(※)
勿論、既にMJとプリンスは別格。
MJは『バッド』『デインジャラス』
プリンスは『サイン・オヴ・ザ・タイムズ』『ラヴセクシー』『バットマン』
です。
他に、
ザ・タイム★
(ジャム&ルーイス★
ジェシー・ジョンスン[ジョンソン]★
モ−リース・デイ
ジェリービーン・ジョンスン
モンテ・モア
の各ソロやプロデューサーとしての活動そして感動の再結成!)
アリグザンダー(アレキサンダー)・オーニール★
シュレール(シェレール)★
ジ・SOS バンド★
キース・スウェット
ザップ/ロジャー★
コロネル(コーネル、カーネル)・エイブラムズ★
ワシントン・ゴ・ゴ(ゴー・ゴー)一派★
ザ・テンプテイションズ(アリ・オリー・ウッドゥスン[ウッドソン]在籍時)★
復活のブーツィ・コリンズ、P-ファンク軍団(共に初来日しました!)★
等、本当にブラックの人気が凄い頃でした。
彼等を観にMZA有明や併設のクラブガディル等に通った方も多いのでは?
★は特に僕が贔屓にしていた面々。・・・あらら殆んどでした(笑)。
そうそう、
ジ・アイズリー(アイズレー)・ブラザーズ(アンジェラ・ウィンブッシュと一緒!)
メイズ・フィーチャリング・フランキー・ベヴァリー(ビヴァリー)
の初来日もこの頃でした。
(※2)
この曲名 “Boys to Men” をグループ名にした “Boyz II Men” は、NEのメンバー、マイクル(マイケル)・ビヴィンズのプロダクションからデビューしています。
上手いと言えば上手い作戦?!
低音ヴォーカリストを擁した実力派であるB II M、上記のNEでは叶わなかった王道ソウル・ヴォーカル・グループとしての夢をビヴィンズは彼等に託したとも言えるでしょう。
<
br>(※3)
その前から若手実力派ソロ・シンガーとして評価はあったものの、『ハート・ブレイク』日本盤のライナーでは「ジョニー・ジル」と表記されている程、日本ではまだ「一部のマニアでは知られた若手の実力派」という認知度でした。以前から彼を知る人(特に男性)の中からは「ジョニーがNEなんかに入っちまうのかよ」といった声も出ていました、正直な話。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’09. (音楽紹介業)
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