自己紹介は即ち「立ち位置の確認」でもありますので。
この考えを「立ち返る場所」として来ました。
ブレたり忘れたりしない為にも、
今後も此処に帰れば良いのだ、という「明文化したもの」を以下に。
私、人見欣幸(よしゆき)は、
藤沢生まれの横須賀育ち。
今年で四十一歳。
ロックにやられて今年の冬で三十年。
(尤も、その数年前からペレス・プラードにやられていますが[笑]。)
現在、
湘南ビーチFM(逗子葉山コミュニティ放送、78.9MHz)で、三本のレギュラー番組を担当しております。
金曜 16:00〜17:00 イシイ ポップス・イン・ザ・ボックス(石井食品提供)
火曜 19:30〜21:00 Starlight Cruisin’ (火)
日曜 10:00〜12:00 Back to the ’70s
それらを補完する目的で、昨2007年の晩夏より、
「イシイ〜」の独立したブログと、
残る二本用の本ブログを始めております。尚、こちらのブログには、少し解釈を広めて、書誌的なもの[過去の文筆業再録]、日々の雑感等も書き加えています。
「音楽ライター」という、何だか太鼓持ち的で無責任で安っぽい肩書きが幅を利かせ始めてから随分経ちますが、僕の立ち位置は「音楽評論家」です。よいしょ記事や、只ただ音楽をBGM扱いしたエッセイを書いている輩とは一線を画しているつもりです。
僕の場合、「生活の中に音楽がある」等というオッシャレ〜な状態では無く、「音楽を聴くのが生活」という、或る意味でシャレにならない状態なので。
「何を良い歳して学生みたいな事を」と思われるかも知れません。確かに最初は若さ故の思い込みも有ったのだと思います。でもそんな時期は随分前に過ぎ去り(笑)、でも思いは変わりません。
そりゃあ十代の頃とは時代も環境も僕も変わりました(1980年代!)。でも、「音楽」に関わる仕事を何とか色々と続けて現在に至っています。きっと、昔から無理のある思い込みで「二十四時間ロック漬けだぜぇ!」なんてやっていた訳では無いものですから(僕はむしろそういう人を笑っていた方です)。有名になりたいとか、女性にモテたいとかいう理由で音楽を選んだ訳では無いのです。それが理由なら、もっと女性ウケの良い音楽を聴いたり、もっと上手く立ち回ったりして、バランスの取れた人生を歩んでいた事でしょう(笑)。
「家で音楽を聴いているのが一番幸せ」、それが今も続いているというだけの事です。
僕を此処迄の存在(はて、どんな「存在」なんだろう?)にしてくれた音楽への恩返しとして、それを後世に伝えられればと思っているのです。偉そうに言えば「文化の継承」、極ごく個人的な表現で言えば「僕をこんな感じにしてしまった音楽への『責任とれ!』という脅迫」であり、同じ被害者の捜索及び養成でもあります(笑)。
何で「音楽」だったのかは今もって解りません。極ごく普通の視点で見れば、僕は「音楽でまっとうな道を踏み外した奴」です。何故、其処迄夢中になったのかは、本当に自分でも解りません。
高校の頃、「Keep on Musicing」という造語を考え、大学では「音楽してます人見です」を自己紹介の言葉としていました。笑われました。
高校の進路相談で「ロックの音楽評論家になりたいので、文章力を上げる為に大学の文学部へ進学したい」と教師に話した時には「ロックなんてぇのは、はしかみたいなもんだ」と言われました。(※)
それが逆に僕を焚き付けたのかも知れません(その先生に感謝しないと!?)。
その「はしか」に、もう三十年かかりっ放しです。もうこれは不治の病でしょう(笑)。
等といった、そんな(実は過激な)想いをやんわりと込め、近年は「音楽紹介業」を自称しておりまして、つまり「音楽を媒介に他の何かを言及する」のでは無く、飽くまでも「音楽に就いて言及する」「音楽を紹介する」事を生業としたいと考えております。未だ自分一人でさえもしっかりとはやってはいけない、そんなレヴェルの経済状態ですが、少しずつ前進していければ、と(四十過ぎの今でもまだ!)考えております。
何処迄やれるか、何をやればどうにかなるのか、現在ラジオと文筆で試行錯誤をしています。きっと一生試行錯誤でしょうが。
文筆業は、単発ですが、1992年以降、現在迄に以下を。
レコード・コレクターズ誌
ミュージック・マガジン誌
ブラック・ミュージック・リヴュー誌
マルチミュージック誌(有線放送会報)
CDジャーナル誌
アドリブ誌
又、現在(昨2007年より)は、連載コラムを担当しております。
タウンニュース横須賀版
「HIT ME’s Yokosukan pop/rock file」
(週刊紙の月初号に掲載)
長々と御読み頂き、有難う御座居ました。
応援、宜しく御願い致します。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
(※)特に興味深く受けた講義は本文批評学(文学版の考古学)、ゼミは井原西鶴、卒論は宮澤賢治。
確かに希望通りに大学の文学部国文学科に進学しましたが、何処がどう「ロック批評の文章力を養う為」だったんだか。
まぁ此処迄御読みの通り、四年学んで、更に輪をかけて理屈っぽくなったというだけです(笑)。
あ、卒業、しましたよ。ええ。それからずっとバイトし乍らの、二十年目の春休みです。
コメント