ボー・ディッドリー (Bo Diddley) が亡くなった。
六月二日没。心臓麻痺。享年七十九。
夕べ、番組でかけたばっかり。というよりも、訃報を知らずにかけていた間抜けぶりが情けない。
調べたら、既に昨日の午前中には流れていた情報だった。
昨晩スタジオに持ち込んでいたのは二枚組だったし、局在庫の中から、ストーンズとかによるカヴァーや他のボー・ディッドリー・ビートものも何曲かは引っ張り出せるので、昨晩は追悼特集にするべきだった。
それが出来たのに知らなかったのでやれなかった。後悔先に立たず。歳月人を待たず。
「ボー・ディッドリー・ビート」ですよ。
人名がリズム・パターンになっている人って、他に居ます? ちょっと動転している今、僕は浮かばないのですが。
その位、特別なロックンローラーですよ。
しかもデビュー曲も自分の名前が曲名。バンド名なら兎も角、個人名(芸名とは言え)を曲名にする思い切りの良さも堪らない。
’88年に行われたロン・ウッド&ボー・ディッドリーとしての来日公演を観ている。素晴らしかった。その直前に、同じ二人でN.Y.はリッツに出演した際のライヴ・アルバムも出ている(ほぼ同内容だった)。それもかけよう。
ちなみにその時のチラシに躍っていたコピーは「ストーンズまで待てない!」。そう、’73の来日中止から当時で約十五年、ストーンズ悲願の初来日はまだ実現していない時期だった(※)。
ロニー&ボーの来日はミック・ジャガーのソロ来日と同じ月(!)だった。実は、その少し前迄は「崇拝」に近かった僕のストーンズ熱は、その頃冷めつつあった。と言っても「他の大好きなR&Rバンドと同じになった」という感じで、聴かなくなった訳では無いのだけれど。でもロニーだけはまだ別格の位置に居た(今も居る)ので、ミックには行かずにロニー&ボーに行った。
今でもその選択への悔いは無い。
今、気付いたのだけれど、’50年代からやっているロックン・ローラーを観ているのは彼が唯一なのかも知れない。ちょっと冷静に思い出してみます。
ザ・ローリング・ストーンズがカヴァーした事で更に有名になった「モーナ (Mona)」。ストーンズ好きな親に「もな」と名付けられた、そんな例は、僕の友人の娘である萌奈ちゃんに限らず多く居るだろう(※※)。
彼女の親←ストーンズ←ボー・ディッドリー
彼女達の名付け曽祖父(名付けじっち[※※※])と言えない事も無い(笑)。
予定していた「梅雨どき云々」という内容は勿論取りやめ。
来週の「スターライト・クルージン」は彼の追悼です。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
(※)尤も、’73年はまだミック・テイラーで、ロニーはメンバーじゃないし、第一ロニーは ’74年にフェイセズとして既に来日してるけどね。
(※※)誕生前のライヴ会場で公募された彼女の名前、僕も「もなちゃんにしたら?」ってけしかけてた側だった記憶が・・・。僕も名付け親の一人?
(※※※)父の出身地、栃木県北部の方言で「ひいじいちゃん」の事。ちなみに、勿論「ひいばあちゃん」は「ばっぱ」。
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