2008年8月19日の日記。
(翌日、湘南ビーチFMウェブサイトのトップ頁に掲載)
今夜の番組ではアイザック・へイズを追悼した。
急いで準備すれば先週に間に合ったのだけれど、先週はペルセウス座流星群がピークを迎える晩だったのに合わせ、星や夜の歌を集めた番組にした関係で一週遅らせたのだ。結局、先週の前後数日の晩は曇天が続いたのだけれど。
その前はハイラム・ブロック追悼。バディ・マイルズが亡くなってからは番組の締めに彼の作品を一曲かけている。そうしたら今度はジェリー・ウェクスラーの訃報が。
ブログでも再三触れているのだが、近年の「スターライト・クルージン」は追悼色が濃い。しかも全くフォロウし切れていない。全盛期に乗り遅れたとしても、知った時には既に故人というよりはまし、同じ時代を生きられた幸運を喜ぶべきなのかも知れないが、当然ではあるけれど別れは辛い。
血縁でも直接の知り合いでも無いのに? 其処が勝手な思い入れが許されるR&Rのマジックですよ。僕は巧くやられちゃって、延々と金を払わされてます(笑)。
補遺
この晩は、番組内容とは無関係の悲しい「続き」がある。
自転車の鍵を失くしてしまった・・・。
ひとまず夏のせいにしておこう(笑)。
昼過ぎ、ドアを開けても、圧されて中に戻されそうな外の熱気に何とか勝ち(←含妄想)、家を出て自転車で駅へ。風を切るという感覚が、熱風とは言え少し心地良い(※)。駅の駐輪場に着き、自転車を停め、鍵を抜いて歩き出す。いつもならばこの段階で、鍵を小銭入れに入れるべく鞄を探るのだが、
・・・。
炎天下。
「歩く」だけで精一杯、同時に他の事をする気が起きない。「ひとまず」と胸ポケットにしのばせた。「キーホールダーと同じポケットにこんな小さな鍵を入れておくと、(放送スタジオの出入りの際に出し入れしたりするので)失くしちゃうかもなぁ。」と思い乍ら。
電車に乗って涼んだら小銭入れに、と思っていたが、すっかり忘れて即座に読書に突入。
予感は的中してしまった・・・。
きっと、夏の暑さと矢作俊彦(久々の「あ・じゃぱん!」が面白過ぎる!)が悪いのだ(笑)。
そして、後ろ向きなパッションで番組に向かわせたアイザック・へイズやジェリー・ウェクスラーのせいでもある!・・・まぁ、これは僕の気の持ち方の問題なのだけれど。
この日は、番組前に、いつもよりも忘れ物や急に思いついた事があって、事務所とスタジオを何度も往復する事が多く、つまりその都度、施錠・解錠を繰り返した訳で、キーホールダーの出し入れもいつもよりも多かった。
考えてみればその時に、井上陽水よろしく「♪鍵が無い〜」とならなかった自分の集中力の低さにも呆れる。
ま、あつさのせい(大瀧詠一)にしておこう。日射病(伊藤銀次)にかかる程では無いけれど。
原因のひとつである事は確かだ。
夜。
番組を終え、キュー・シート(選曲表他、オン・エア内容報告)作成を終え、帰途につく。
「あの番組内容でそんなになるのか?」と思われてしまうかも知れないが、火曜日の番組は最も自由度が高いので、特別な力を入れており(※※)、精神的に最も暴れている。よって、火曜日の夜は一週間で最も「もぬけの殻」になっている。勿論、心地良い脱力感である。
思わずレーナード・スキナードの「チューズデイズ・ゴーン」をふにゃふにゃと口ずさみたくなる程に。
「やっと帰ってきた・・・。」と自宅の最寄駅の改札を抜ける際に、やっと「おやおやおや〜?」と三日月しずかみたいな呑気さで気付いた。
胸ポケットにキーホールダーしか入っていない。
しかし、まだ服や鞄の何処かに有るだろうと思っていた。
改札を出て、ベンチで、他のポケットや鞄、小銭入れ(無意識に移動させている事も有るので)を探った。
無い。
BGMは「Where Have All the Flowers Gone (花はどこへいったの)」ってなもんである。EW&Fヴァージョンで御願いしよう。
もしや鍵をカチッとかけただけで抜き忘れたのかなぁ?と少々期待し乍ら(これも時たま有るので)、自転車の許へ。♪バ〜イシコッ、バ〜イシコッ、バ〜イシコッ
しかし、矢張り、無い。
BGMはロバータ・フラック&ダニー・ハザウェイ(ハサウェイ)の「Where Is the Love」ってなもんである。
しっかり鍵はかかっており、抜いてもある(つまり胸ポケットに入れたという記憶が確かだったのには、実は少しホッとしたのだけれど)。
この状況に至り、のんきな僕も、遂に焦った。夏の夜の汗と冷や汗が気持ちの悪い配合で出て来た。
週で最も力の抜けている火曜日の夜、しかも暑い夏の夜に、本来ならば楽をする為の自転車を、重い後輪側を持ち上げて、何度も休憩する程の汗をかき、歩いて帰宅するという屈辱。
スパニッシュ・キー、おおマイルズ(マイルス)・デイヴィス!じゃなくて、
スペア・キーを、と探したのだけれど、どうやらその晩に失くしたそれがスペアだった様だ。ハッキリとは記憶していないのだけれど、「今のうちに合鍵を作っておかないと」とぼんやりと思っていたという事は、きっと一度失くしているのだろう。
大澤誉志幸みたいに、僕は途方に暮れてしまった。そう言えば僕も「よしゆき」だった。
さて。二日後の木曜日に、この悲劇は一転、喜劇的な結末を迎えた。
何の事は無い、鍵をかけてから一時間半ぐらい後、つまり葉山入りする前に、僕は鍵を落としていた。
運が良い事に、其処は定期的に寄っている場所で、しかも屋内だった。木曜日に其処へ行ったら、落とし物として置いてあった。
ホッ。
自転車の便利さを痛感した二日間だった。
四十を過ぎたらねぇ、物忘れは増えるし、緊張感は薄れるしと、弛んだ人間になって来ちゃいましたよ(笑)。
いけない、いけない。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
(※)ちなみに原付も含め、僕は免許を持っていない。
高校の頃、従兄弟のオートバイに乗せてもらった事がある(農家ですよ! 私有地ですよ!)。
教えてもらった通りに操作した所、当然だがその通りに動いた。
怖くなった。
自分が何も力を入れていないのに、少し手を捻っただけで乗り物が自分の意志で動いてしまう。勿論、理屈としては解るのだけれど、感覚がついていかなかった。
以降、燃料で動く乗り物を自分で操る事への興味は無い(あの日も、何だかその従兄弟のあんちゃんにおだてられて悪戯っぽく乗せられたのだ)。
昔から、友人達と同じ速度で自転車をこげずに(スピードを出すのが怖いのだ)苛つかせていた。何度も何度も足手まといの僕を待って再スタートする彼等はきっと不愉快だった事だろう。
特急電車も目が回って酔うクチだった(→今は慣れた)。
高所恐怖症だった。高い鉄棒に、怖くて飛びつけなかったりした。手が届いても握れないのだ。
(→これは今もまだいくらか。ビルを下から見上げたり、TVで高所の映像が出て来るだけで足がすくむ。)
(※※)勿論、「他のふた番組には力を入れていない」という意味ではありませんのでイジワルな取り方をなさらないで下さいね。
制約を設けている分、選曲の幅が狭いという根本的な姿勢の違いが有るので、取り組み方・力の入れ方(苦労するポイント)が違うという意味です。
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