ドラマーの藤井章司が亡くなった。
二月六日。享年五十四。心筋梗塞。
こちらはヤフー!ニューズ(経由のスポーツ報知)。
又、こちらは通夜の模様を伝えるスポーツ・ニッポン。
一風堂のドラマーとして知られる。
東京都出身で、チャーのアマチュア時代のバンド仲間として僕は強く記憶している。
ショック (アマチュア時代。チャー在籍)
スモーキー・メディスン (アマチュア時代。チャー、佐藤 準、鳴瀬喜博、金子マリとの五人組)
尾崎亜美 (亜美バンド)
一風堂
ナスカ (二代目ドラマー)
再結成スモーキー・メディスン
スモーキー・メディスソ (佐藤 準が不参加なので改名[笑])
’82年にチャーが発表したソロ・アルバム『ムーン・チャイルド』に三曲、彼のドラミングがフィーチュアされている(上記のショックとスモーキー・メディスン名義)。特に「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」(スリー・ドッグ・ナイトのカヴァー)の印象が強い。
一風堂はちゃんと聴いてはいなかったので、彼のドラミングと意識して聴いているのはつまりその三曲ぐらいという事になってしまう。
昨晩が通夜で今日が告別式だった。
しかし五十四歳とは早過ぎる。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’09. (音楽紹介業)
コメント
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一風堂ってテクノのイメージが強いので、ロックファンからはあまり聴かれていないと思うけど、
藤井さんのドラムも、土屋さんのギターも改めて聴くと、実にロックなんですよ。
レコードの頃は聴いていなかったんだけど、CD化の時に聴いて、そう思いました。
土屋さんが後にモッズやブランキーのプロデュースをするのも納得です。
スポニチの記事
“土屋は「ありがとうという感謝だけです。僕のためにすべてをなげうってドラムを叩いてくれました」と悼んだ”か。
万感の思いが伝わってきますね。
喪主がお母さんというのも辛い。
去年、高校の先輩が同じケースで亡くなったんだけど、
子供が自分より先に旅立ってしまった親の悲しみというのは推し量れません。
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GAKUちゃん
一風堂の活動していた時期は、一番「日本のヒット曲」から離れていた時期だったせいで、聞き流していた程度。アルバム・ジャケやら情報やらは、「ミュージック・ステディ」を隅から隅迄ずずずいと読む奴だったから憶えてはいるのだけれど(笑)。
土屋昌巳がジャパンのトゥアー・メンバーになった頃の写真を見たら、彼等に完全に溶け込んでいたのに驚いたり。あと、同じく彼のソロ『ライス・ミュージック』のジャケが印象深かったり。ザ・モッズやブランキー・ジェット・シティのプロデューサーだったのも、気付いたのはかなり後。
だから藤井章司が一風堂だったというのも、長いこと知らなかった。
喪主が御母さんなんだよね。
僕の父方の郷里(栃木)では、子に先立たれた母親は、喪主どころか、葬儀に出ずに家に居なければならない、という風習があります。伯母が亡くなった時、祖母は家に居ました。
納得の風習だけど、いずれにしても辛いのは当然。
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