2009年2月10日の日記。
(翌日、湘南ビーチFMウェブサイトのトップ頁に掲載)
先週と今週の「Starlight Cruisin’」は、レーナード・スキナード Lynyrd Skynyrdを中心に構成した。
七十年代のアメリカン・ロック・バンドの中で特に好きなバンドの一つ。一文字隼人、ジロー(キカイダー)等に続く形で、ルックス面で受けた影響も大きい(笑)。アレン・コリンズ Allen Collinsは足長過ぎ、カッチョ良過ぎで参考にならなかったけど(彼は同じ人間とは思えない!)。
「売り」「看板」とは言うものの、余り意味が有るとは思えないトリプル・ギター
後任ドラマーの方が下手(※)
恥ずかしげも無くまんまフリーみたいな曲がある
クリームのカヴァーはほぼコピー
・・・等など、ツッコミどころ満載(※※)なのが僕にとっては大きな魅力だ。未完成の魅力という意味ではフェイセズ(Faces フェイセス、フェイシズ)やハノーイ・ロックス Hanoi Rocksと並ぶ。簡単に言っちゃえばヘタウマ(笑)。
彼等は、
度重なるメンバー交代
→主要メンバーを失う飛行機事故により解散
→生き残りメンバーが別名で再集結
→しかし分裂
→事故から十年経ちレーナード再結成
→好評を博し数年後より本格的に活動を再開
→少しずつメンバー交代を繰り返しつつ現在に至る
という波瀾万丈なバンド。故人も多い。
デビューから脱退する事無く在籍し続けているメンバーは二人しか居なかったのだが、その一人であったビリー・パウエル(Billy Powell キーボード担当)が先月末に亡くなってしまった。今回の特集は彼への追悼である(前回のレーナード特集はベイシストのリオン・ウィルクスン[Leon Wilkeson レオン・ウィルクソン]追悼だった)。残されたギャリー・ロシントン(Gary Rossington ゲイリー・ロッシントン)の心中や如何に(※※※)。
補遺
ビリー・パウエルの死に際しての拙文はこちら。
(※)二代目ドラマーのアーティマス・パイルは本当に笑える。
例えば、今回はオン・エア出来なかったが、名作ライヴ・アルバム『ワン・モア・フロム(フォー)・ザ・ロード』での「サタデイ・ナイト・スペシャル」。彼のドラムズで始まるのだが、いきなりテンポが遅い。他のパートが入って、彼等のリフに合わせてドラムズのテンポが上がる。合わせてからじゃないと「遅い!」と気付かない他のメンバーもメンバーだが(笑)。
ハノーイ・ロックスのライヴ・アルバム収録の「マリブ・ビーチ・ナイトメア」で、マイクル(マイケル)・モンローの♪1,2,3,4!というカウントに続いていきなりテンポが遅いラズルのドラムズ!という名シーンに匹敵するツッコミどころである。
ちなみにLP『ワン・モア・フロム(フォー)・ザ・ロード』の裏ジャケもかなり可笑しい。
(※※)他にも、
ヴァン・ザント三兄弟はみんなシンガーの道を選んだので、それぞれにバンドを組むしかなかった
(ロニー→レーナード・スキナード
ドニー→38スペシャル
ジョニー→ヴァン・ザント[後にレーナード再結成=二代目ロニーみたいなもの])
バンド名は、長髪である彼等を嫌っていた学校の教師の名前をもじった
ザ・フーの前座でトゥアーした時には緊張しまくった
デビュー・アルバム名は『読みは「レーナード・スキナード」』
「ワーキン・フォー・MCA」という身も蓋もない曲が有り、しかも代表曲
・・・等など、魅力なのか笑いどころなのか判然としないエピソード多数。
(※※※)番組内で話したが、レーナード解散中の、ロシントン・コリンズ・バンドからロシントンとデイル・クランツが離脱し、極めて素直にアレン・コリンズ・バンドとなった。つまりコリンズ、ウィルクスンとパウエルの三人はレーナードのデビューからずっと一緒だった。
レーナード再結成にあたり、
○コリンズ側の三人
○ロシントン
○パイル
○エド・キング(前期メンバー)
○ランドール・ホール(アレン・コリンズ・バンドでロシントンの後任と言えた)
○ギャリーと結婚したデイル・クランツ・ロシントンはバック・ヴォーカリストとして参加
○そして肝心のリード・シンガーの座にはロニーの弟であるジョニー・ヴァン・ザント
が揃った。
更にゲストとして、
●ロニーとジョニーの間にあたる兄弟ドニー(38スペシャル)
●かねてより親交のあったチャーリー・ダニエルズ
●スティーヴ・モーズ(当時カンザス、現ディープ・パープル!)
等の同志も参加、そしてとどめは、
☆オープニング・MC(バンド呼び込み)を行った、
ヴァン・ザント兄弟の父(ダ〜ディ〜)であるレイスィー。
考えうる最高の布陣で十年の追悼トゥアーを行ったと言えるであろう。
ちなみにコリンズは ’86年に交通事故を起こして下半身不随となってしまい、この再結成には「Arrangement Consultant」という肩書きのもと、裏方としてサウンド作りに関わった。トゥアーを追ったドキュメンタリー・ヴィディオで、車椅子に乗り舞台へ登場し、喝采を浴びる彼の姿を見る事が出来る。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’09. (音楽紹介業)
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