Nov. 3rd, 2007.
人見欣幸の音楽三昧
阿久 悠(70) 追悼 (其の伍) 澤田研二 -c
-LOVE〜愛とは不幸をおそれないこと〜 (1978年)-
-2007年の季節の歌:仲井戸“チャボ”麗市-
01 L・O・V・E /仲井戸“チャボ”麗市, ’96.
-LOVE〜愛とは不幸をおそれないこと〜 (1978年)-
作詞:阿久 悠 作曲:大野克夫 編曲:船山基紀 歌:澤田研二
side A:
02 Two
03 24時間のバラード
04 アメリカン・バラエティ
05 サンセット広場
06 想い出をつくるために愛するのではない
side B:
07 赤と黒
08 雨だれの挽歌
09 居酒屋
10 薔薇の門
11 Love (抱きしめたい)
&
さよならをいう気もない, ’77.
酒場でDABADA, ’80.
この制作体制になって三枚目そして最後となった作品。
前二枚とは緊迫感が違う。全て最終曲に流れ込む為の序曲の様な暗さと重さがアルバム全体を支配している。
主演の澤田研二もそれに応え、白熱の演技(歌唱)を提供している。
それ故、とっつきにくいという印象を持たれてしまうかも知れないが、ハマると愛おしい。
アートワークのせいもあるのだろうが、前作がアメリカン・テイストが、本作はユーロピアン・テイストがそれぞれ強い。欧州っぽい終末感・閉塞感を音で出しているとも言えるだろうか。
以下は、06の拡大解釈として御笑読頂ければ幸いです。
寄せ書き等、後輩に偉そうにメッセイジを残したりする際、僕はよく
「思い出作りをする為に生きてるんじゃないからね」
という内容の事を伝えます。
思い出は「作る物」では無く、「勝手になる物」だと思うからです。
「思い出になる様な○○にしようぜ!」とか、最悪です(笑)。ついていけません。文化祭や体育祭、それどころか、学校そのものを思い出作りの場にしたがる傾向、感じませんでしたか?
「なんか青春っぽくない?」なんて言ったりし乍ら何かをする、そんな傾向が大嫌いでした。
多分、写真、録音、録画が誰でも簡単に出来る様になった二十世紀に、この「思い出作り」の傾向は急速に浸透したのではないかと推測します。特に誰もが簡単にディジタルで撮影・動画記録が出来る様になった今世紀に入ってから更に。先ざき振り返るにあたり、良い出来にしておきたい、と。
「我々は『写りの良さ』『体裁の良さ』を気にし過ぎている」と良く思います。ディジタル・カメラで、写した直後にチェックして「いやだぁこの笑顔」とか言って撮り直す、とか出来る様になっちゃったから更に目に付くこの傾向。
「残る」事を前提に、後で振り返る為に物事を進めるのにはどうも抵抗を感じます。小六になるなり卒業記念アルバムを作り始めたり、高一になるなり修学旅行先を検討し始めるなんて本末転倒も良いところだと思っていました。
思いませんでしたか?
そりゃあ相手も商売ですから仕方無いんですけど。でも、違和感は拭えません。
もう少し、出たとこ勝負でも、成り行き任せでも良いと思うのですが。
僕にその傾向が有り過ぎなんでしょうけど(笑)。あまりにも周りがそうじゃないから逆に極端になっちゃってるんです。
あれ? 周りのせいにしてる?!
ま、とは言え僕も「ちゃんと録音出来てるかな?」なんて思い乍ら番組をやってますけどね。
でも、「この文をいつか読み返したら結構良いべ」なんて事を思い乍ら書いちゃあいないんだぜ。そんな精神的余裕は無いのさ。
気にしてるのは誤字脱字だけです。結構有るんだ、これが。情け無い。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
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