七月二十八日、僕の番組にゲスト出演して下さる村田和人さんとワタクシ人見欣幸。
○先ずは単純に、一方的なミュージシャンとリスナーの関係。
1983年 -あれから四半世紀以上-
この年の春より始まった、山下達郎担当の「サウンドストリート」で、自分の最新プロデュース・ワークとして、村田和人なる人物のセカンド・アルバム『ひとかけらの夏』からの先行シングル「一本の音楽」がオン・エアされ、その存在を知る。
好きになる。
その直前より、村田和人は山下達郎のトゥアーにコーラスとして参加していたが、僕は村田和人参加時のライヴを結局観られず終い(チケット電話予約の時点で入手出来ずにいつも挫折)。上記「サウンドストリート」他で放送されたライヴ音源で疑似体験をするしか無かった。
当時、村田和人は山下達郎と同じレコード会社、ムーンの所属(※)。
ちなみに僕が初めて観た山下達郎のライヴは ’88〜9年のトゥアーで、この時のコーラスは女性二名。実際のライヴを聴き、そしてこのトゥアー後に出されたライヴ盤『ジョイ』収録の村田和人参加曲を聴き、「男声が、村田さんの声が足りない!」と逆説的にその重要性に気付かされた。
尚、男性コーラスのパートは、その次のトゥアーより、順に佐藤竹善、楠瀬誠志郎、三谷泰弘が引き継いでいる。
1991年 - あれから十八年-
当時村田さんがレギュラー出演していたFM番組の公開録音を聴きに行く。ゲストが荒木真樹彦だった事も大きな理由。たどたどしい話しっぷりの(それも魅力)荒木真樹彦をサポートし、会場を沸きに沸かせ、しかしゲストはちゃんと立てる村田さんのトークの上手さを堪能。素晴らしい。
○そして遂に接触!(笑)
1991年暮れ - あれからそろそろ十八年-
デビュー時からの熱狂的な村田和人ファンであり、現在は家族ぐるみの付き合いをしている友人率いるアマチュア・バンド「トラベリン・バンド」が十二月に行ったライヴに何と村田和人が来て、飛び入り出演!
バンド名の由来である、『ひとかけらの夏』収録の「トラベリン・バンド」にギター&ヴォーカルで参加。
僕はバンド・メンバー(コーラス)だったので、共演したという事になる!!
1993年 -あれから十六年-
’91年より数年間、僕は横浜駅東口地下街ポルタの街内放送スタジオ「スタジオポルタ」のDJ及び音楽アドヴァイザーをしていた。
その時期に運良くあたる形で、村田和人のビクター移籍第一弾『ハロー・アゲイン』のプロモウションとして、村田和人本人がスタジオポルタに来局!(ポルタに新星堂がある縁。)
番組の案内を僕が行った。話を頂いた時には震えた。『ひとかけらの夏』にサインを頂いた。
新星堂での購入者からスペシャル・ライヴに抽選で招待というキャンペインが行われ、そのライヴを観る事も出来た。失礼乍らそれが村田和人ライヴの初体験。素晴らしかった。
上記の友人を含む村田ファン数名との繋がりから打ち上げにも同席させて頂いた。
以降、「足繁く」とは行かないが(僕の経済的な事情・・・)、ライヴへ足を運ぶ事、多数。
1999年
湘南ビーチFMの僕の番組「スターライト・クルージン」に、
A, M, S & I の
安部泰宏 (A)
鈴木雄大 (S)
伊豆田洋之 (I)
がゲスト出演。
先約があり出演が叶わなかった残る一人のメンバー=
村田和人 (M) は電話で出演!
現在は、
○ライヴに行くと少し話をさせて頂ける関係に。
上記の友人達に混ざって、電車で帰られる場合には途中まで御一緒出来たり(笑)。
・・・電話での番組出演から丁度十年なのですね。
(文中敬称略)
(※)村田和人のアルバム・ディスコグラフィ:
ムーンから五枚
’82 また明日
’83 ひとかけらの夏
’84 My Crew
’86 Showdown
’87 Boy’s Life
東芝EMIから三枚
’88 Go Pop
’89 太陽の季節
’90 空を泳ぐ日
ビクターから三枚
’93 Hello Again
’94 Evergreen
’95 Sweet Vibration
自主制作で一枚
’08 Now Recording
(同年ユニヴァーサルより、リマスター&ボーナス・トラック入りの
「Now Recording+」として再発売)
そして
ユニヴァーサルより今月発売される新作
’09 ずーーっと、夏。
他、本文中のA, M, S & I 等、バンドやプロジェクトとしてのアルバムもあり。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’09. (音楽紹介業)
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