2009年12月8日の日記。
(翌日、湘南ビーチFMウェブサイトのトップ頁に掲載)
「FMステーション」誌の編集長だった恩蔵 隆氏が「FM雑誌と僕らの80年代」という回想記を上梓した(河出書房より九月刊行)。「ステーション」なので当然のこと表紙を担当していた我が局の鈴木英人取締役も文中に登場する。英人さんにこの話をした所、「ああ恩蔵君ね〜」と少しこぼれ話を御聞きする事が出来た。
七十年代から九十年代初頭、隔週水曜日には書店にFM雑誌が横積みでど〜んと置かれたものだ。文房具店の雑誌スタンド(コンヴィーニエンス・ストア普及前の時代)にも並んでいた程で、僕は登校時に、無理を言って店のおばちゃんに梱包をわざわざ解いてもらってまでして買っていた。その日の休憩時間はひたすら番組表に線を引く訳である。
そう、FM雑誌たる理由は「詳細な番組表」にあった。当時は録音番組が殆んどだったので、放送の三週間程度前にはほぼ全ての構成や選曲を終えていたのだ。ひえ〜。
僕の購読誌は「FMファン」だったのだけれど(英人さん御免なさい)、あの時代の「文化」のいち断面を切り取った一冊、僕の個人史と寄り添う一冊として興味深く読んだ。他の三誌の編集長も書いてくれないだろうか?
さて、今回がおそらく今年僕に回って来る最後の「DJダイアリー」だと思います。本年も御笑読頂き誠に有難う御座居ました。一応、拙文の再掲載(加筆、補遺付き!)をブログで行っていますので宜しければ是非。それではどうか皆様良い御年を。
補遺
番組では、十月二十六日の「スターライト・クルージン」で本書を(軽くではあるが)紹介した。
「重なる」ではなく「僕の個人史と『寄り添う』一冊」と敢えて書いた。
立場は違えど同じ世界に生きた著者と大きな距離を感じたから。
何故僕が「FMステイション」を買わなかったかが解ったから。
音楽ファン、旧来のFMファンからすると(と言ってもキャリア数年の中坊だったのだが[笑])「FMステーション」(以下「ステイション」)は記事が軽過ぎた。真面目な音楽ファン・FMファン以外を相手にしている匂いは当時から感じていたが、明確にそういう編集方針だった事が本書を読んで解った。
ライヴァルとして想定していたのは、おそらく他のFM雑誌三誌よりもむしろ「ぴあ」「シティロード」といったユース・カルチャー情報誌や「オリコン」だったのだろう。音楽好きによる音楽好きの為の雑誌では無かった。
「経済的に美味しい」という勘で創刊された経緯が本書には記されている。尤も著者である恩蔵氏(創刊時は社内他誌のスタッフだった)自身は音楽好きなのだけれど、敢えてその色を抑える編集方針を打ち出して発行部数を伸ばす。
あくまでも印象(当時の記憶)だが、先行三誌から乗り替えた定期購読者はそう多くないという気がする。つまりFMリスナーの新規獲得に貢献する形にはなったけれど、以前からの熱狂的なFMリスナーの割合は少なかったのではないか、と。
それを「FMリスナーの増加」と取るか「FMリスナーの質の低下」と取るかで、「ステイション」に対するイメッジは正反対になる。
それと、単純に中綴じであった事から、保存に向かないという判断もしていたので、僕は買わなかった。
大まかな区別:
FMファン 最古参だけに保守的 シリアスなFMに関する記事・音楽記事が充実
FMレコパル オーディオ寄り(でも初級者にも優しい)
週刊FM ニュー・ミュージック寄り(矢野顕子が司会の対談があったりした!)
FMステーション 軟派 デザイン、頁構成がヤング(笑)向けでポップ
僕は最初の一年半(1980〜81半ば)は週刊FM、以降はFMファンだった。
「ステイション」の英人さんによる表紙・カセット・レーベルのイラストはとても魅力的で、自分のカセットにも入れたかったのは山々だったのだけれど、それだけの為に乗り換えるには至らなかった。それと、「FMファン」にはビルボードのチャートが掲載されていたのも大きな魅力だった。
毎号買っていた中学校近くの文房具店にて。
「『週刊FM』下さい。」
「何?『週刊平凡』?」
・・・買う訳無いでしょ、イガグリ頭の中学生が。
以上が本文の補遺。以下は続き。
そう、当時のFMは目当ての番組や曲を見付けて「傾聴する」そして「録音(エア・チェック)する」為のバンドだった。音楽ファンにとっては最高の試聴の場であり、ライヴ等、放送でしか聴けない貴重なヴァージョンを入手する場でもあった。そして「この曲はこれこれこういう曲で」という客観主観を交えた説明がつき、それをそのDJがどう位置付けてどう評価しているのかを知るのも楽しみにしていた。その彼等の評論を評論したものだ(笑)。
それが主流だった。
向こう二週間の僕の予定は、FM誌を手に入れて番組表をチェックしない事には決まらなかった。完全にそういう人生だった。カセットの購入が最優先課題だった。当時の番組表を見ていると僕の行動が分かる。
タイマーなんて、てんとう虫のキッチンタイマーしか無かったのだから、我が家には(笑)。時刻設定ではなくて「あと○時間で入・切」というタイプね。
オーディオのタイマーは別売りで高価、タイマー内蔵チューナーも高価。カセット・デッキもオートリヴァースがやっと出始めた頃である。タイマー内蔵ラジカセ(ダブルカセットが最高級!)や、アンプ、チューナー、デッキが一体となったタイマーと連動するミニコンポ(レコードがレギュラーから外され始めた。CDのレギュラー入りはまだまだ先)が普及するのは数年後。つまり当時は基本的に自力。その時間帯は在宅で録音である。
通学に一時間かかった高校時代にも、七時十五分からの「サウンド・オヴ・ポップス」で録音しなければならない(そう、「ねばならない」のだ)曲がかかる時には帰宅、夕食もそっちのけでデッキのポウズ・ボタンに人差指を乗せて緊張していた。
思えば早く家に帰る、良い高校生だったよなあ(笑)。寄り道はレコード、カセット、本(雑誌か探偵小説)を買うのみ。今も大差は無いけれど、開店時間が延びた分だけ帰宅も遅くなった。
ただ、高校の時には放送室(放送委員だった)のチューナーを私用というワルい事もした・・・というのはもう時効ですよね? 許して!
おっと、話が逸れた(本当は逸れてない、同じ世界の話だけれど)。
さて。
そういった、FM雑誌を時刻表的に買い活用する「FM中心生活スタイル
」は日本独自のとても特殊な聴かれ方に根差していたのだという事に局もリスナーも徐々に気付く(※)。
八十年代半ば、FM多局化時代を迎えた時に新設局が打ち出したのは上記の様な「資料性」よりも「流れ」。BGM的に「流しておく」バンドとしてのFM、番組目当てで聴くリスナーではなく、「局を選ばせる」という局単位での区別、記名性(ブランド)だ。従来の「音楽ファンの取り合い」だけではリスナーを増やせないであろうという判断からだったのだろう。「最近、何を聴いてる?」の答えが番組名やDJではなく局名になっていった。
「FM雑誌と僕らの80年代」では、番組表の掲載をJウェイヴが開局当初から断ってきた事が、FM雑誌の斜陽が始まる象徴的な出来事として書かれている。確かにラジオの即時性を考えればニューズやその日の天候に対応した選曲をしたいし、それをするには「三週間前の選曲」は足枷だというのは良く理解出来るのだけれど。
ともあれ、番組表頁の「見開きで左がNHK、右が東京」という構成が成立しなくなり、多局化は「音楽ファンにとっての天国化」ではなく「コアな音楽番組の減少」を招く事になった。そんな事になるとは思ってもいなかった我々音楽ファンはガッカリした。貸しレコード店の普及(この流れはCD普及によって手軽な貸し借りが可能になった事との相乗効果で更に加速)と情報の高速化(※2)も、「新譜を早くオン・エアしたい」という提供側が当然持つ願望を後押しし、「三週間前に選曲を終わらせる」という従来の慣例が急速に崩れて行った。
そんな様々な出来事が続く中で、生放送番組が増えた事から「内容未定」と番組表に記載される番組が一気に増え、ごくごく自然な流れとして「詳細な(しかし詳細ではなくなってしまった)番組表」の需要は低下。発行部数は減り、定価は上がり、更に売れなくなるという、斜陽商品定番の悪循環へと突入、FM雑誌は一つまた一つと休刊していった。
僕も実は九十年代前半には定期購読からは脱落・・・。以降は決まった「番組」しか聴いていない。
つまり渋谷陽一、山下達郎、ピーター・バラカン、小林克也、佐野元春のレギュラー番組と、山下達郎・竹内まりや・アンチェイン(UNCHAIN)がゲスト出演する番組。
FM fan 1966〜2001
週刊FM 1971〜1991
FMレコパル 1974〜1995 (1991年以降は「レコパル」)
FM STATION 1981〜1998 (1994〜95年は「FM STATION EAST」「FM STATION WEST」)
又、「ぴあ」等の情報誌にもFMの番組表が掲載されていた。番組表の需要が多かった証である。
FM雑誌の最盛期、つまりFMが、ひいては音楽が若者文化の中心だったピークは七十〜八十年代だったのだろう。
最初のFM雑誌であり、結果として最後迄頑張っていたFMファンが休刊した2001年、継続を望む声に後押しされて、番組表制作を担当していた会社が定期購読者を対象に「FM CLUB」を創刊、業務を引き継いでいる。特にNHK-FMはN響の(放送のみの)番組が多い為、エア・チェックをするクラシック・ファンが今でも多く、そんな彼等がFM CLUB誌を支えていると想像する。
開局当初から「音の良さ」でAMとの差別化をはかったFMはクラシックが売りだった。NHK-FMに限って考えると、見方によっては、「二十年のポップスやロックに邪魔された期間」を経て、FMは元のクラシック・ファンを相手にしたバンドに戻ったとも言えるかも知れない。外野の雑音が消えたという位置付けで、クラシック・ファンは案外現状を喜んでいるかも知れない。
という風に考えれば、イージー・リスニングや映画音楽の番組ももっと復活して良いだろう。需要は確実に有る。映画と同様、もっと年配を相手にした番組作りをしても良いと思うが。
尚、NHKの情報誌「ステラ」には当然のことNHK-FMの番組表も載っている。
FM雑誌が書店から消えた2001年、僕は番組で「さよなら『FMファン』」という特集を組んだ。確か同誌が表紙に選んだLPの中から曲をかけたと記憶している。選曲表や、その時に書いた「DJ diary」は、まだ我が家の何処かに埋もれているフロッピー・ディスクに残されていると思うのだけれど・・・。ちょっと探してみよう。
気長に御待ち下さい。
何やらノスタルジックな、愚痴めいた文章になってしまったな。ま、そろそろ四十三歳なんで、許して下さい(笑)。
(※)当時、FM雑誌に掲載された「人気DJ大集合」的な対談で、ピーター・バラカンが「番組表がいけない。数週間先迄の予定を立てるなんて、即時性が売りのラジオとしてマイナス要因」という様な事を話していた(細部ママ)のを良く憶えている。その姿勢からか、彼の番組は常に「内容未定」だった。
人気の「サウンドストリート」等、慣例に従わず「内容未定」を通せる番組はまだ少なかった。それでも多くに聴かれる番組なのかが、当時の局は不安だったのだろう。
でもオン・エア曲ではなく出演者で、番組で聴くリスナーは多かった筈だ。
(※2)洋楽新譜が日本で発売されるのがほぼ同時となるのは九十年前後の事。その十年前には一ヶ月遅れ、その五年前には数ヶ月遅れが普通。例えば国内盤解説(発売の一ヶ月程度前に執筆されていた筈)に「アメリカでは○位で初登場、現在本稿を執筆している段階で三週目○位と赤丸急上昇中」と書ける程のタイム・ラグが有った。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’09. (音楽紹介業)
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