2008年1月15日の日記。
(翌日、湘南ビーチFMウェブサイトのトップ頁に掲載)
成 人の日前後に思い出す事が有る。と言っても自分の成人の日の話では無い。十五歳(間も無く十六歳)、高校一年の時の、成人の日絡みの連休の事だ。
地 学部に居た僕は(放送委員会と兼部をしていた)、その連休の夜、同期二名と共に(OBの御世話になり)京浜急行三崎口駅から徒歩二十分程度の畑の中に居た。暗い場所で満天の星空を堪能する為である。
北 半球の場合、オリオン、おおぐま(アルファ星はシリウス)、ふたごを筆頭とする、等級が上の明るい星ぼしの多い星座が、いわゆる「冬の星座」であり、空気の澄んだ「夜の星の美しさ」と「寒さ」は残酷にも比例する。
その夜も格別に星が美しく、そして当然のこと格別に寒かった。カップラーメンを作ったら、出来上がる前にお湯が冷めてしまい、何とも中途半端な「硬めのきつねうどん」が出来上がった(出来上がらなかったのだけれど)。でも悔しいのでそれを食してしまったのがいけなかったのか、朝にはお腹をこわしてしまい、ひどい目に遭った。
そんな土日を過ごし、月曜迄の連休が明けて火曜日、登校をしたら一人が風邪で休んでいた。何だか「勝った」気分になり、「あらら。あいつ風邪で休んでるよ!」と伝えにもう一人の居る教室へ行ったら、何とそいつも休んでいた。結局、お腹をこわしただけで済んだ僕が一番軽かったのだった。勝ち誇れる相手を失い僕は途方に暮れた(という程では無かったにせよ)。
流 星群や月食といった特別な行事が無いと、ひと晩中星を見上げる事は以前よりも少なくなった。それは、あの(1983年1月の)晩の「普通の夜空」の美しさを凌ぐものは無いと思うから(思っていたいから)なのかも知れない。
ちなみにその晩も、夜空BGMのマイ定番「ナイトウォーカー(ジーノ・ヴァネーリ)」を耳に入れていた、かどうかは定かでは無い。
あ! そうか、今夜はあれから丁度二十五年だったのか! 番組でネタにすれば良かった(笑)。全く以て後悔先に立たず。
四 半世紀を経て、一人は気象庁、一人は教師、そしてもう一人はこうしてそんな事をネタにラジオで喋ったり文章を書いたりしています。
補遺
何だか「良い奴」の振りをしている風で、読み直したら少し恥ずかしい(笑)。
実はこの晩の話には夜明け後への続き が有る。初出となる湘南ビーチFMウェブサイトのスペイスの関係で、このエピソードを端折った為、美談(?)となってしまったという程に「品の無い話」なので、以下を加筆して照れ隠しとしよう。
地学部員の一年生には、ずっと引き継がれてきた事として、交代で毎朝八時に気象観測を行うという使命が有った。通称「キショカン」。観測地点は高校の地学室前にある百葉箱。
気温、湿度、雨量、風向、風速、雲量、天候、視程、
・・・あと何だったっけかなぁ、毎日記録してたんだけど流石に忘れちゃったなぁ。
「今日の最低(気温)記録更新だぜ!」「今日の雨量は今年最高だろう!」等と、別に自分が何かした数字でも無いのに、同期の中で自慢し合っていたものだ。
さてそんなキショカンは一週間毎の交代制で、我々の期は四・五人だった為、ほぼ月に一度のペイスで番が回って来た。
そして。
その週の。
この日の朝の当番は何と僕だったのだ。
上記の通り、ユルくなったお腹を騙し騙し何とか保たせて(きっと変な歩き方をしていた事だろう)、三崎口駅のトイレでひと息ついた僕は、その足で高校を目指した。電車に乗って約三十分、そして徒歩十数分(健康体の場合・・・)。
「ひと息ついた」と言ってもユルいお腹である。「次」への不安は勿論残っていた。こんな体調の時の暖房のバッチリ入った電車のしかも「暖かいシート」の存在は嫌がらせに近い。ヘトヘトの徹夜明けで震える寒さから逃げ込んだ車内、しかもガラ空きなので座りたい、でも腰が必要以上に温まると・・・、という微妙なハラ具合。京急は車内にトイレが無い。当時は、駅構内にもまだトイレは(全駅には)無かったと思う。大体が、世話になった上記三崎口駅の当時のトイレも簡易設置に毛が生えたという程度のもので、勿論水洗でさえ無かったのだ、当時は。
しかし疲れには勝てず、座った。運良く途中下車もする事無く、いざ高校へ。
やっとの思いで辿り着いたという具合で登校、まっすぐ地学室へ。下品な話が続いて申し訳無いが、地学室のすぐ隣にトイレが在るのをこれ程有難く感じた日は無かった。
確か観測後は少し地学室で休んで、昼頃に帰宅したと思う。それから何時間か寝た後で、タイマー録音しておいた前日土曜日の「ダイヤトーンポップスベストテン」を聴いたり、日曜日の定番コース、夕刻の「サンスイベストリクエスト」「リクエストコーナー」の黄金リレー、夜の「ゴールデンライブステージ」を、カセット・デッキのポウズ・ボタンに人差指を掛け乍ら聴き、SL の汽笛で始まりそして終わる「夜の停車駅」、最後にFM東京に変えて、零時からの「ザ・ワールド・ミュージック」(又は改名した後の「サウンド・リポート24」)を聴いて床につくという、いつものFMライフを過ごしたのだろう、きっと。
家にずっといる日曜日の午後や夜は、エアチェックや友人ルートのコピーにより、カセットで殆んどのアルバムを持っていたミュージシャン中のひと組を、勝手に一人で大特集していたものだった。
当時はまだまだ数える程、ヴァン・ヘイレン、イーグルズ、EW&F、ジョン・レノンなんてあたり。
勿論、発表順に、というのが僕の性格(笑)。
カタいよなぁ、頭が。
さて話を戻して、そんな情けない週末を経ても、僕は火曜日は無事登校したのだから、朝、キショカン無しで早々に帰宅した同期二名に対して「勝った!」と思ったのも無理からぬ事と御理解頂きたい。
但し・・・、実は観測時刻が十五分位遅れた気がする。駄目じゃん、それじゃ。十五分遅れたら、気温なんて上がってるよ、きっと。
改めて、品の無い話で申し訳有りませんでした。
人見 “Hit Me!” 欣幸, ’08.
コメント
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お~。その事件、ちょっと覚えてるな(笑)。
あれから、四半世紀か。早いな。 Like
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Taro
「友人ルート」は殆んど君ルートだ(笑)。改めて感謝。
人見 Like
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FMライフ、懐かしいね~。
あの頃は、時間が有り余ってたよな~。
いまは、一日の休みなんてあっという間に終わっちゃうけど、
学生時代の一日は、たとえ一人過ごしたとしても、
ドラマチックだったような気がするな。うん。 Like
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へぇ。人見君、地学部だったんですね。
マラソンが早かったとか、地学部だったとか、つきあいが長いわりには初めて知ったことが最近多いな(笑)
高校時代の話、「×浜高校青春記」として小説かエッセイで書いてくれたら面白そうだな。読みたいです。
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GAKUちゃん
回顧録(又は自伝的小説)は、ま、五十歳位になったらね・・・って、結構近いんじゃん、もう僕等も(笑)。じゃ、六十歳位になったらかな? それ迄はこのブログが備忘録という感じで(笑)。
人見欣幸(バカボンのパパと同い歳) Like