Sep. 27th, 2008.
人見欣幸の音楽三昧
遂に再始動しているフラワー・トラヴェリン・バンド。
新作からの楽曲も交えて、今一度、彼等に注目!
01 SATORI part II, ’71.
02 MAKE UP, live ’72 (at Yokosuka!)
03 SHADOWS OF LOST DAYS (WOMAN), live ’72 (at Yokosuka!)
04 SATORI part I, ’71.
05 ALL THE DAYS, live ’72 (at Yokosuka!)
06 WHAT WILL YOU SAY, ’08.
07 WE ARE HERE, ’08.
08 SPASMS, ’72.
09 SATORI part II, live ’72 ( at Yokosuka!)
先ず、番組内でのトークに関する御詫びと訂正を。
『サトリ』は全七曲 は、
全五曲 の間違いです。
全くの僕の記憶違いです。申し訳有りません。
1970年代前半の日本のロック・シーンで活躍したひと組である彼等。特に彼等は孤軍奮闘と言うべきだろう。
何せカナダでデビュー、実際にヒットさせ、活動したのだから。
その数年前、GSのメンバーとしてデビューした各メンバーは、その「ザ・芸能界」なシステムに馴染めず、やがてニュー・ロックの時代へ突入する中、内田裕也統率のもとフラワー・トラヴェリン・バンド(通称フラトラ、以下FTB)を結成する。
プロフィールやディスコグラフィは彼等の公式ウェブサイトでどうぞ(実は僕も一旦書いたのだけれど、確認がてらこちらを訪れた所、その簡潔さと的確さに「僕がダラダラと書いたこれは意味が無い」と思い至り、潔く消去した)。
僕はFTBの存在を、高校の時に、先ず雑誌で知った。
「ミュージック・ステディ」。
日本のロックを中心とした、批評眼も資料面も優れた雑誌だった。理想が高い分、敷居も高く、(定価も高く・・・、)特に判型の小さい時期は、僕の様な頭でっかちな評論家気取りのガキには最高の「武器=隅から隅迄読んでおきたいアイテム」だった。編集長は市川清師、岩本晃一郎がプログレ(矢張り!)他、洋楽の記事を書いたりしていた。
FTB活動停止から十年後、’83年の事だ。
山下達郎が『メロディーズ』を出し、そのインタヴューが載っていた号だから良く憶えている。
その後、部数拡大を狙ってであろう、判型を大きくし、取り上げるミュージシャンも少し「ベタ」なものが中心となる。僕の様なコアな定期購読者は自然と離れ、その後、休刊した。
まぁ、それは兎も角。
そこで、ジョー山中のインタヴューを交えた形でFTBの紹介がされていたのだ。「あの頃は俺らもシーンも熱かった」といった事を彼は語っていた。ロック業界がビジネスライクになる前だったという時代の彼等の大胆な活動が紹介されていた。
「人間の証明のテーマ」や『レゲエ・ヴァイブレイション』シリーズしか知らなかった僕は俄然興味を持ち、大学生の頃にアルバムを揃えた。八十年代中頃。まだオリジナル盤が定価以下で買えた時代だった。見開きの『サトリ』も(再発盤はシングル・ジャケだった)、ボール紙ジャケの『メイド・イン・ジャパン』も、特殊皮袋付きの『メイク・アップ』でさえも!
驚いたのは矢張りセカンド『サトリ』。
「海外で売れる日本人」は、音楽に限らず、「和風」が漂う。それが世界的に見た場合の我々の「売り」であり、当然だけれど他国人と比して勝れた部分だ。
明治維新〜敗戦という「欧米文化の文化的侵略」を経て、どうしても我々は自らの「和風」を避ける傾向が有る。「負けた文化」というコンプレックスを、少なくとも僕は無意識のうちに背負って育った。
実際、これを書いている僕も現在洋服を着ているし(※)、本来は縦書きの日本語をこうして横書きで使用しているし、という具合。
そして欧米の音楽をこよなく愛している。
そんな経緯から、僕は当初、FTBの和風なメロディと和太鼓風のドラムズには抵抗が有った。全体のアンサンブルも一・三拍目にアクセントが来る。それをロック・バンド編成で、しかも圧倒的に洋楽ロックの声質を持つジョー山中が歌っているというのに、違和感が有った。
しかし、好きになるのに時間は掛からなかった。何時の間にか「サトリ・パート2」の音頭ビートに身体を揺らせている自分が居た。
アメリカ人がカントリー&ウェスタンやブルーズを基に彼等のロックを演るのと同じ様に、スコットランド民謡っぽいR&Rやアイルランド民謡っぽいロックを英国人が奏でるのと同じ様に、FTBみたいなロックを作るのはおかしくないのだなぁと感じたのだ。少し「狙い」があってわざと採り入れていたにせよ。
時代はインドだった訳だし。シタール風且つ和風というのは面白く感じた。
そして何と言っても上手い。
演奏力・歌唱力が圧倒的だった。
’73年のザ・ローリング・ストーンズ初来日公演が直前に中止となり、前座だった彼等はその勢いを殺がれてしまったそうだ。それも原因の何割かだったのだろう、同年、彼等は活動を停止している。
それから三十五年。
彼等は「解散したのではない」と言っているので「活動再開」なのだそうだ。全員が六十代。
オリジナル・メンバー全員
ジョー山中
石間秀機
石川ジュン(上月ジュン)
ジョージ和田
と、更に当時のサポート・メンバー
篠原信彦
が揃った(今回は篠原も正式メンバーとなった五人編成)。
新作『ウィー・アー・ヒア』の風通しの良さに、最初は少々の物足りなさを感じたのも事実だが、まとまりの良さと、そして矢張り演奏力の高さに、参った。特にべイシストは、プロとしての活動をしていなかったそうだから、そのレヴェルをキープしている(又はそのレヴェル迄戻した)のに驚かされた。
八十年代にショーケン、ジュリーとそれぞれ活動していたメンバーが二人居る。
数年前に観たジョー山中も現役バリバリだった。不安は全く無い。
一昨年のテンソウ復活時、サポート・キーボーディストを務めていたのは篠原信彦だった。
フジ・ロック・フェスティヴァルでの評判も頗る良かったと聞く。
上記の公式ウェブサイトに載っている写真も、どれもやたらと格好良い(ジョニー吉長が写ってるのもある!)。
style=”line-height:1.2;”>アルバム発売直後で、トゥアー中の今、雑誌のインタヴューを読んで、僕の気分は盛り上がっている。
何より風貌が、佇まいが、とぉぉ〜〜〜っても怖い。ホンモノの証だ。
僕は10/5(日)、彼等を観る。スペシャル・ゲスト=ジョニー、ルイス&チャーが目当てでチケットを取ったのは事実なのだけれど、ふた組ともとても楽しみにしている。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
(※)僕は純和風の体形・顔なので、羽織袴なんてバッチリ似合うのですが(笑)。
昨今の若者、そしてリタイア組を中心とした浴衣や甚兵衛の復権は、見ていて中々嬉しいけれど、自身となるとまだ少し抵抗が有る。これは世代でしょう。
特に浴衣はさぁ、基本的にはバスローブ又は寝巻きですものね。地元の祭りや近所の公園での花火ならまだしも、花火大会に電車に乗ってわざわざ出向くというのは、見ている側としてはどうも・・・。浴衣姿、皆さん素敵ですけどね(笑)。
「若者、そしてリタイア組」というのは、つまり孫と祖父母という世代差。ひと世代空く方が共感度合は高いと常々僕は感じている。
だからかな? 「親」世代の僕はどうも、おいてきぼりで・・・。
コメント
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F.T.B.はロック界の宝物 様
御訪問、有難う御座居ます。
「宝物」おっしゃる通りですね!
でも、彼等はその「宝箱」に展示されているだけの「過去の遺産」である事を良しとせず、活動を再開させたのでしょう。
全員が「生きている」だけで奇跡的な世代ですものね。やれるうちに続きをやっておこうという気持ちも有るのでしょう。
少し歳上の欧米のバンドなんて、半分死んでるのなんてざらですものね。
ザ・ビートルズ、ザ・フー、スモール・フェイセズ(ハンブル・パイも)、ザ・ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス(バンド・オヴ・ジプシーズも)、ザ・ビーチ・ボーイズ、ザ・テンプテイションズなんて4/5、そしてフォー・トップスも一昨日で3/4に・・・。
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