谷 啓
が亡くなった。
九月十一日朝五時頃。享年七十八。脳挫傷。
前日の十日、午後六時頃に自宅の階段で躓き、顔や頭を強打し入院、それから半日と経たずに亡くなった。
ビロ〜ン。
読売新聞14:30配信を、偶然15:00の数分前に知った。
NHK総合15:00〜03のニューズでは触れず。
最低。
こんな大事な事を。国民の大多数が知る大有名人の訃報を逸早く伝えないとは。
遂にハナ肇とクレイジー・キャッツ七名中、存命は犬塚弘、桜井センリの二人のみとなった。
ガチョ〜ン。
彼等(※)の訃報に接する度に番組で言っている事だが、
「実年行進曲」のエンディングで
さぁ〜このまま百まで行こう!
お〜!
って言ってたのに、又もや一人脱落。
一人も行けないんじゃ、シャレにならない。頑張れ二人。
谷 啓は逗子開成 OB だ。その縁で、湘南ビーチ FM ルートで会えない距離ではなかった。その意味で個人的にも残念な気持ちが残る。
十年程前に彼と話をした局スタッフ(逗子開成の後輩にあたる)によると、
「今でもトロンボーンを吹きたいのだけれど、入れ歯になっちゃったから駄目」
と話していたそうだ。
本当に音楽が好きで、音楽で人を湧かせる、そして笑わせるのが好きな方だったのだろう。あのコントのテンポの良さは音楽だものな。世代的にフォー・ビートのノリだとは感じるが。
ムヒョ〜。
世代柄、彼がミュージシャンである事を知ったのは「ガチョーンの人」だと知った後だ。
小学生の時、土曜日の午後にやっていた TV 番組「笑って笑って60分」で「谷 啓とザ・スーパーマーケット」を観、「あ、この人はトロンボーンを吹けるんだぁ」と驚いた次第。
確かディクシー風の制服で出演していた。多分、その通りのディクシーランド・スタイルのジャズを演奏していたと記憶する。立奏スタイルだったので多分間違い無いだろう。
学校の鼓笛隊に興味が有った頃だったという事もあり(やがて六年生になり、僕はアコーディオン又はピアニカを担当した)、とても嬉しかった。
TV での「谷さん、あの『ガチョーン』のやり方を伝授して頂けますか?」というシーンの度に、例によって激しくまばたきをし乍ら、
「こう、万物を掴む様に」
といつも話していたのが最高だった。
見事な後付け(笑)。
(未完)
(※)
メンバーだけでなく、青島幸男、宮川 泰の追悼番組でも話した。
2006-7年というのは、宮川 泰、青島幸男、植木 等と続く辛い一年だった。JB、実相寺昭雄、阿久 悠も同時期。あの時期はかなり暗いパッションで何とか乗り越えた記憶が有る。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’10. (音楽紹介業)
コメント
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今夜お会いした時にお話しようかと思っていましたが,取りあえず.
谷啓との出会いは、「シャボン玉ホリデー」か、「大人の漫画」か。
多分,イメージがはっきりしたのは「シャボン玉ホリデー」だったかなあ。
まあ、あの頃はテレビにたくさん出演していたから、その全てでしょうね.
ミュージシャンであるのは、楽器コントをたくさん見ていたから何となく知っていたし,ドリフも同じですね.楽器コントは流行だった.
ただ本格的なミュージシャンぶりは、70年代以降の活躍で拝見したはずですね。トロンボーンと言うのがシブく、シカゴ好きとしては世界の三大トロンンボーン奏者は、ジミー・パンコウとJ.J.ジョンソン(もしくは、カーティスフラー。「ブルースエット」は名盤過ぎる)、そして谷啓である。
流行語と言う点では、クレイジーの中でナンバーワンでしょうね。「万物をつかむように」というのは、分解写真で見て大笑いしたものです.
しかし、病気ではなく、事故死というのが意外な感じがしましたが,それだけに残念ですね。 Like
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逗子王様
トロンボーンというと、
Fred Wesley
Louis Satterfield (Earth, Wind & Fire)
Greg Boyer (P-Funk, Chuck Brown & The Soul Searchers, Prince etc.)
そして谷 啓が浮かびます。
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谷啓さん、お悔やみ申し上げます。
「笑って笑って60分」で見たスーパーマーケットには
クレイジーなピアニストがいて、
子供心に「すげえな、この人」とあっけにとられたんですが、
後にそれは近田春夫さんだったとわかりました。
コーラスにはコッペもいましたね。
谷さんの音楽とユーモアのセンスが融合した、楽しいグループでした。 Like
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GAKU ちゃん
へえ。近田春夫だったんだ。コッペも。それは全く気付かなかったな。小学生の頃、一応エレクトーンを習ってたんだけど(笑)。駄目だこりゃ。あ、それはドリフだ。
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