こちらはロッキング・オンのウェブサイトより。
Aerosmith エアロスミスの Steven Tyler スティーヴン・タイラーが初のソロ・シングルを出す。
それが実写版『ヤマト』の主題歌だという。
LOVE LIVES
/Steven Tyler
映画制作サイドからのオファーから始まったもので、映画の内容を把握した上での承諾、レコーディング、つまり映画への書き下ろし楽曲なのだという。
以上のインフォメイションしか知らない時点での感想(即ち第一印象)として、ひとまず、
がっかり だ、と記しておきたい。
何で折角の「初ソロ」が世界規模の楽曲発表ではないのだろう?
何で「日本でのみ発売!」「日本先行!」を日本のレコード会社は「栄誉」だと思ってしまうのだろう?
このレヴェルのミュージシャンにとって、この「肩書き」は決してプラスではないと何故思わないのだろう?
案の定、十年前の映画『Armagedon アーマゲドン(アルマゲドン)』主題歌「I Don’t Want to Miss a Thing ミス・ア・シング」タイプのベタベタなスロウ・ナンバーらしい。
初めて、メンバーが一人も作家として参加していない曲だった。
当然の様にエアロスミスの古くからのファンは敬遠した。
しかも(よくあるパターンだが)大ヒット、彼等初の全米ナンバー・ワン・シングルとなって了った。
その映画に娘のリヴ・タイラーが出ていた事から「スティーヴンの親馬鹿」と位置付けて何とか納得させていた方も多いだろう。僕もそうだ。
「どうせならスティーヴンのソロ名義で出せばもっと納得出来たのに」という方も当時から多かっただろう。僕もそうだ。
そう思えば今回のソロ名義でのスロウ・ナンバー発表は一応、納得。
でも、別に邦画の主題歌じゃなくても良いだろう?という気はどうしてもする。しかもヤマトなんだから日本人の方が良いじゃないか、と。
むしろ歌じゃなくて、映画音楽担当者が荘厳なエンディング・タイトルを書き上げるのが、二時間の統一性を考えると良いと思う。
僕はこの考えをいつも持っている。それこそ「さらば宇宙戦艦ヤマト」の劇場で観た時のエンディングで「ヤマトより愛をこめて」を耳にした時に感じた押しつけがましさへの違和感から始まっている。ジュリーは大好きだし、あの曲も大好きなのだが、「楽曲として好き」と「映画のエンディングとして相応しいか否か」は別だ。
邦画の「エンディングにヒット狙いの歌もの」というパターンにはどうも馴染めない。決して数は多くないが、観た中で判断するに、多くの場合、合っていないし、興醒めする。映画とは無関係の「楽曲の良さ」が上回り、結果として「こんな映画に使われて勿体無い」と感じてしまう事も多い。
僕が音楽に偏った人間だからだという事も有るとは思うが。
今回も、やるならせめて自国の歌にして貰いたかった。
スティーヴン・タイラー初のソロは世界規模で開始して貰いたかった。
映画の監督をしている山崎 貴は、「ジュヴナイル」というとても良い映画で監督デビューしている。主題歌は山下達郎が担当、今回と同じく書き下ろしの(その名も)「ジュヴナイルのテーマ〜瞳の中のレインボー〜」。この映画とその主題歌は相乗効果が有ってとても良い組み合わせだった。それだけに悪い予感だけではないのだが、「洋楽?」という第一印象はどうしても拭えない。
映画にも楽曲にも触れる前だが、正直な感想として、これだけは今、記しておく。
さてどんな映画でどんな歌なのだろう?
考えてみれば例の騒ぎ以降のスティーヴンの歌って、未だ録音物としては発表されていないものね。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’10. (音楽紹介業)
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