ポール・ニューマンが亡くなった。
九月二十六日。癌。享年八十三。
これはヤフー!おくやみ欄。
そうか、自宅はコネティカット州だったのか。ナイル・ロジャーズ(ロジャース)と同じだ。
正直に書くと、僕はニューマンは「好き」という程度で、大ファンという訳では無い。
と言うよりも、そもそも映画ファンでは無い、と書くべきだろう。
映画館に足繁く通うクチでは無い。年に数回程度だもの。
自宅のブラウン管(まだ・・・)で「映画を観たつもり」になっているだけだ。
しかもその「観たつもり」になっている本数さえ少ない。
007シリーズは観倒しているけどね。御約束の嵐、オトコ(=ガキ)のファンタジーですから(笑)。
あとは、音楽物を除けば、日本の怪獣特撮ものと宮崎駿もの。でもそれさえ、みんな映画館で観ているという程では無い。
まぁ、その分、一本一本は印象深い(←完全なる言い訳)。
ポール・ニューマンは、
「ザ・ハスラー」( ’63)
「明日に向かって撃て! (Butch Cassidy and The Sundance Kid)」( ’69)
「スティング」( ’73)
「ザ・ハスラー2 (The Color of Money)」( ’86)
ぐらいしか観た事は無い。しかもどれもブラウン管で。
「タワーリング・インフェルノ」さえ観ていない(パニックもの、ホラー・オカルトものは苦手でして・・・あ、「スピード」は面白かった!)。「評決」もちゃんとは観ていない。
おそらく役どころ・演技だけではない、ポスターや雑誌に載る写真からも伝わる「風格」が素敵なのだな。
本ブログによく登場する作家、矢作俊彦は、
「ジョン・ウェインは最後までガンベルトを取らなかった。
ジャン・ギャバンは、晩年確かにその体重を倍にしたが、レジスタンス達の期待を最後迄裏切らなかったではないか。
ポール・ニューマンは今でもポール・ニューマンであり続けている。」
と書いている(※)。
(著作権の関係もあり、敢えて記憶のみで書いている故、細かい語句は違う事を御了承頂きたい。)
「ザ・ハスラー2」の翌年書かれた文だ。
僕もこの映画ではトム・クルーズよりもニューマンの方がずっと格好良いと感じていた。まぁ、結構みんなそうだろうけれど。
ちなみに矢作俊彦監督映画「ザ・ギャンブラー」( ’92) はこの映画にヒントを得ている部分が多いと思うが、ニューマンにあたる役を宍戸 錠に演じさせているのも深い。
いやぁ、正しい。
日本人でもよくあるが、この世代の名優が亡くなる度に「最後の○○逝く」というニュアンスの言葉が使われる。
何故、その「○○」は其処で最後となってしまい、後継されなかったのだろう?
音楽界でも、それはよくあるけれど。
ともあれ、同性からも異性からも、歳の離れた者からも大変魅力的であろう俳優、ポール・ニューマンは亡くなった。
これから、彼が遺した名演の数々に改めて、又は初めて触れる機会が増えそうだ。
そして我々は、それらを更に後世迄伝える義務がある。今後の、彼と同じ時代に生きた事の全く無い人に向けて。
四十一年の間、ニューマンと同じ時代を生きていたというのは、これは本当に幸運な事なのだから。自慢になる事だから。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
(※)
この一節は、
「石原裕次郎は、そうなれる唯一の日本人だった。」
という文で締められている。
エッセイ集『複雑な彼女と単純な場所』(東京書籍)所収。
石原裕次郎の生前、「太った裕次郎は僕等の敵だ」という題で週刊誌に書かれたものがあり、其の中で彼は、
日活アクション映画の衰退に対する嘆きを、
現在(つまり当時)の石原裕次郎や渡哲也等の(矢作から見た場合の)不甲斐なさを、
「もっとガンガンやって貰いたい」という期待を込めて書き連ねている。
その連載を上記単行本に収録するにあたり附記した中に、本文で触れた部分が含まれている。
単行本発売直前に石原裕次郎が亡くなっており、急遽加筆したもの、つまり弔文。
「太陽にほえろ!」ぐらいしか知らなかった僕はこの頃から、日活アクション映画が好きになり、宍戸 錠が大好きになった。
あれ?
いやいや、石原裕次郎・二谷英明も好きですが、小林 旭・宍戸 錠や赤木圭一郎・宍戸 錠の方が更に好き、という事。
ちなみにこのエッセイ集「複雑な彼女と単純な場所」は、その後新潮文庫から出し直されているけれど、あとがき等、結構大事な部分がカットされていたりするので、東京書籍からの単行本を御勧めする(いずれにしても古書店で探す事になるのだけれど)。
あまり見掛けないかもしれませんが、有ると安いですよ。持ってても買っちゃって友人にプレゼントしてしまう程の底値です・・・。
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