数日、情報の谷間に居た。そういう時にこういう重大な情報が入っている事が結構有る。
十分ほど前に知った。
デイヴ平尾が亡くなった。
享年六十三。食道癌。十一月十日。
「何で誰も今まで教えてくれなかったんだよ。」という想いもある。
夕べの番組で、せめて何か言うだけでも出来たのに。
サム&デイヴやゼムやザ・バンドなら、局に有るからかけられたのに。
済みません。
只ただ気が荒れているだけです。
悪意や個人攻撃をする意図は有りませんので誤解しないで下さい。
少し時間を下さい。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08.
コメント
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デイヴ平尾さんの突然の訃報、本当に驚いています。
ステージに立つデイヴさんは、いつもジーンズ姿と見た目も若かったのに・・・
「東京」ではなく、まだ異国情緒が色濃く残っていた「横浜」という土地柄の必然。
デイヴさんとエディさんのアメリカでの再会や、マモルさん、加部さん、ミッキーさん、ブッチといった、
いづれ劣らぬテクニックを持った人達が集まった偶然。
それが結集され、最高のロックバンド、ゴールデン・カップスが生まれたのだと思います。
1966年生まれの僕にとって、GS(グループ・サウンズ) はまさに後追いの音楽。
どんなに逆立ちしてもリアルタイムで体感した「団塊の世代」の人の言葉には敵う筈もありません。
それでもある時期からGSに夢中になって、そして今でも大好きで聴いている音楽です。
仮に僕がGS全盛期に青春時代を過ごしていたら、
当時の学校団体やPTAから「不良の音楽」と扱われたGS、とりわけ不良度の高いカップスの音楽を、
これほど聴いていたかどうか、甚だ疑問です。 退学を迫られたら、それでも音楽を取っただろうか、と。
そういう意味では、後追いでよかったのかも知れませんね。 Like
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そんな僕のような「後追い世代」にも嬉しい出来事が。
2004年の暮、カップスのドキュメント映画「ワンモアタイム」が単館上映されると聞き、
日本のロックの歴史を知る上で「これは観ておかねば」と翌年2005年1月に本牧まで駆けつけました。
様々なロックミュージシャンに多大な影響を与え、改めてその凄さを思い知らされました。
偶然ですが映画を観たその日、カップスは本牧でライヴをやっていたことを後で知り、ガッカリだったのですが。
「まだまだがんばりますので、応援よろしくお願いします。」
この言葉は、映画「ワンモアタイム」DVD発売での、地元横浜西口の新星堂で行われた
インストア・イベントにてデイヴさんが挨拶した言葉でした。
僕はこの場に居たんです。
イベントには、かつての不良少年・不良少女とおぼしき人達が結構いらしていました。
ちょっと照れたような、でもバンドのリーダーとしてメンバーをちゃんとまとめていた
デイヴさんがそこには居ました。 仲間が集まってくる、そのお人柄が垣間見えます。
こんなことになるんだったら、DVD買って、握手して、サインもらっておけばよかった。 Like
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「がんばります」
デイヴさんのこの言葉が、正直僕には意外でした。
ソロCDの自身のライナーや、デイヴさんのブログでもこの言葉が見られました。
GS時代、テレビやライヴの出演に遅刻したり、時にはすっぽかしたりしていたこともあったようで、
常にマイペースを保っていたカップスに「がんばります」なんていう言葉は、無縁だったように思うからです。
そこから30年以上経って、それでも自分の歌を聴きにきてくれる、カップスの復活が映画になり大絶賛される、
この言葉は、そんな人達への感謝だったのかも知れませんね。
R&B寄りの洋楽カバーのセンスや、演奏力の高さは今更ここで説明するまでもないのですが、
僕は、ともすれば歌謡GSに入れられてしまいそうな「愛する君に」が大好きでした。
レコードでの歌い出しはデイヴさん、上をエディさん、サビでマモルさんが歌い、3人でハモるところが、
カップスには珍しい Beatles を感じさせてくれる曲だと思うのです。
「愛する君に」 昨日AMラジオで、僕はこの曲を2回聴きました。 Like
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今、手元には11月28日開催の
「ゴールデン・カップス、GSスーパー・ユニット、ライヴ・スペシャル2008」のパンフレットがあります。
ライヴはデイヴさんの追悼という形で、予定通り執り行われるそうです。
それにしても、アイ高野さん、鈴木ヒロミツさんと、GSのボーカルが立て続けにいなくなってしまうのは、
バンドの顔を失ったようで、本当にさみしいです。
デイヴさん、あっちで早速駆けつけ一杯でもやっているのかな。
人見さんの火曜日の番組にて、カップスの洋楽カバー曲で、
賑やかにデイヴさんを追悼するなんて如何ですか?
ライヴでもよく演奏されていた「I Got My Mojo Working」は、
カップスの代表曲といってよいでしょう。
でも、デイヴさんのソロ「一人」「ママリンゴの唄」なんかを聴くと辛くなりそうです。
63歳、まだまだこれからという時に。 残念です。 Like
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Masashiさん
分載での長文の弔文、有難う御座居ました。
僕が行った、数年前に「カップスが揃う!」という触れ込みで開催されたライヴ(横浜ブリッツにて、ミッキー吉野仕切り)は、当日の貼紙「エディ藩が急病の為、不出演」によって四人カップスでした。よって加部がギターという予定外の良い事も有りましたが、結局、生で聴いたデイヴ平尾の歌声はその一回きりになってしまいました。
カップスは「頑張ります」が似合わないグループという意見には賛成の反対の反対な~のですが、リーダーであるデイヴ平尾(だけ?)は「頑張る」人だったかもしれませんね。メンバーがどんどん代わって行ってもバンドを続けた人ですし。
仰る通り、「スターライト・クルージン」で、カヴァーした曲のオリジナルで追悼もアリだと考えています。
「ワン・モア・タイム」の再結成コンサートで彼が呼び込まれた「ホールド・オン、アイム・カミン」でスタートで。
でも、もう「ユー・アー・ゴーン」。いくら待っても出てきてくれないのですが。
人見欣幸 Like
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なんと~!
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先日ミッキー吉野氏がゲストに呼ばれたラジオ番組で
「今月はカップスとゴダイゴ、両方のライブが予定されてたんです。
でもご存知の通りデイブが亡くなってしまって…
だけどゴダイゴがあって救われたなと思うんです。
ゴダイゴをやっている時はカップスのことを忘れられますから。
ゴダイゴがなかったら、辛くてやりきれなかったですね」
というようなことを話していました。 Like
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GAKUちゃん
カップス参加は高校生の時。最年少だったのに音楽面でのリーダーシップを取っていたそうで。四年前から断続的に続いている(いた)再結成も、ミッキー吉野が音楽監督で、サポート・ミュージシャンもミッキー吉野人脈だったし。
そのミッキーも他のメンバーも、トキさん(デイヴ平尾)が声を掛けないと動かなかったし集まらなかったんだろうから。かなり辛いのは当然でしょう。
人見 Like