水を差す様で申し訳無いけれど。
まぁ僕なんぞがこのタイミングでこんな所にこんな事を書いたって大勢に全く影響は無いだろうから平気で書く。
「ウィー・アー・ザ・ワールド」が四半世紀振りに再録音されたそうだ。
元々「四半世紀振りの再録音」の企画が進行していた中、奇しくもハイチの震災が起こり、今回はそれへのチャリティとして歌われた。
前回は「アメリカン・ミュージック・アウォーズ」授賞式の晩に録音されたが、今回は「グラミー・アウォーズ」授賞式の翌日の録音。
プロデューサー=クインシー・ジョーンズ、作者のひとり=ライオネル・リッチーを除く参加者は前回とは被らない様な人選という(公平を期してだろうか)。
リッチーが「(もう一人の共作者である)マイクル・ジャクスン[マイケル・ジャクソン]も生きていたら賛同しただろう」と発言したそうだ。
今回は大御所としてバーブラ・ストレイサンド(ストライザンド)やグラディズ(グラディス)・ナイト、アース、ウィンド&ファイア、ザ・ビーチ・ボーイズ(ブライアンとアル)等の名が在る。
2/13のヴァンクーヴァー冬季オリンピック開会式の中で、この新ヴァージョン及び録音のドキュメンタリーが公開される予定。
といった情報を既に御存知の方も多いだろう。
「オリンピックで発表」というのだから、既に音楽界のニューズでは無い。
社会面に載るべき「チャリティ活動」なのに、芸能面に載ってしまうのだ、きっと。
そして、その時点で履き違えているというか勘違いというか、という気がする。
僕は先ず、四半世紀前からこの曲を「良い曲」だと思った事が無いので、この曲に関して良い事は言えない。書けない。
大体、それ以前に、そういう音楽的な判断基準で語るべきではない楽曲なのだ(後述する)。
マイクル・ジャクスン(マイケル・ジャクソン)死去の報道以降、彼が発表した曲で好きな曲としてこの曲を挙げる方が多く居るのだけれど、申し訳無いがそれには驚く。
例えば「ヒール・ザ・ワールド」等と同格で「ウィー・アー・ザ・ワールド」を語る気には、少なくとも僕はなれない。
楽曲としての優劣と、慈善の為のテーマ・ソングとしての影響力の大小を混同しているとしか思えない。混同どころか、後者だけで評価されているのではないか。
「『良い事をしよう』と歌っている曲」は即ち「良い曲」なのか?
違う。
何故それに気付いてくれないのだろう。
その発想法に従うならば、現在最も優秀な映像は「ハイチ大地震への寄付の御願い」になってしまう。最も優秀な文章はNHKの正午前、「ハイチ大地震への寄付の御願い」静止画画像時のアナウンス文になってしまう。
「何チャンの呼び掛けが一番良い?」なんて。
それをCDで、本で、配信で、買うだろうか?
そんな馬鹿な!
例えばハリウッドの有名男優・女優が集まって「私にはハイチ出身の友人が居て云々。みなさん彼等を助けましょう」というコメントを集めたDVDを制作・発売したとする。勿論収益は寄付に回される。
それを「優秀な映像作品」として評価するだろうか? 画期的な売り上げを記録するだろうか?
そんな馬鹿な!
その映像を編集手腕や画面処理、つまり映像としてのクォリティを、商業映画と並列で云々する人は居ないだろう。
震災写真集をアイドルの写真集と並列で売る店は無いだろう。
だから僕は「ウィー・アー・ザ・ワールド」を楽曲として語る事を放棄したいのだ。
チャリティ・ソングは「チャリティ・ソングである」という時点で商業音楽とは別にするべきだと思うのだ。
その時点で音楽界の話題では無い。「ミュージシャンが行った『仕事以外の活動』」でしかない。
「馬鹿だなぁ人見は。それが音楽だけが持つ特別な魅力なんじゃないか。音楽は世界言語だからそれが出来るのであって、それを何故『素晴らしい事』と考えられないのだ」と思う方もきっといらっしゃるだろう。
勿論、彼等の思考・行動には敬意を表する。「良い事」をしている事は素晴らしい。
しかしそれは、僕等が寄付をしたり駅前で募金箱を持って寄付を募ったりするのと同じく、彼等は「仕事」としてしている訳では無い。僕は彼等を、その発言や行動では無く、仕事即ち「作品→発表する商業音楽」で評価したい。僕の、本稿の立脚点は其処なので誤解なさらぬ様。
僕は、「ウィー・アー・ザ・ワールド」でヒット・ポップスは終わったと思っている。
「音楽」として良いのか、良い歌唱なのかではなく、それがどういう理由で作られ、どう役に立つかで「良い曲」だと判断され、画期的な大ヒットとなったと思うからだ。
音楽が「目的」ではなく「手段」になってしまったのが悲しかったからだ。
あれは音楽ファンが「曲が良い」と思って買ったシングル盤では無かった。居たとしても少数で、「自分が好きな歌手が参加しているから一応買った」「良い行いの為のテーマ曲だから買った」という購買者が大多数だったのではないか。
二十五年前の大ヒットからそれを指摘する声は有った。僕もそちら側だった(何てったって渋谷陽一の影響下ですから[笑])。その考えは思ったよりも浸透していない様だ。残念乍ら今回も「偏屈なロック狂が小言を偉そうに書いている」という扱いに終わるのだろうか。
でも繰り返し書く。これは「音楽を使ったチャリティであり、(控えめに言って)個人的な好みとして楽曲として評価出来ない以上、積極的に番組でかけたいとは思わない」と。
「洋楽ファン以外の人間(含『元洋楽ファン』)がMJ死去に続く話題として口にする」のは、現役洋楽ファンとして好めない、と。
バンド・エイド、USAフォー・アフリカ、ライヴ・エイドという、’84〜5年の動きを十八歳のいち洋楽ファンとして違和感を持ちつつ体験し、以降もほぼ同じ志向・嗜好・思考形態を持つ僕は、どうしてもそう思う。
「ライヴ・エイド」生中継は一晩中観た。大団円でのイーゴ(エゴ)丸出しでマイクを取り合って歌われた「ウィー・アー・ザ・ワールド」は実にみっともなかった。
日本ではその生中継番組は「音楽番組」ではなく「チャリティ番組」として制作・放送された。
そう考えないとやってられない。でなければあんな風に音楽をぶった切ってCMを挟んだり、どうでもいい解説に時間を割いたりする訳が無い。でなければ、元々「二箇所で行われているライヴを中継する」という時点で大変なのに、わざわざ日本のスタジ
オからどうでもいい喋りや日本人ミュージシャンの曲を挟む等という愚行をする訳が無い。
きっと今回も特に騒ぐのは、音楽ファンでは無い人々だ。そしてヒット・チャートから落ちたらすぐさま「ああ、有ったねそんな曲。懐かしいね」とか言い出し、次に流行っている映画やらTVドラマやら再来年のオリンピックだかを肴に騒ぐのだ。
一応、来たるべき大騒ぎを想い、そして既に憂い(笑)、以上を記しておく。
尚、少々混乱したまま書いているので、後日読み直して加筆訂正は行うと思うけれど、大意は変わらない筈だ。
多分、僕はきっと、前回と同様に、好きなミュージシャンが参加しているので、来年あたり安く出回る中古盤で手に入れるだろう(笑)。
ハイチに寄付する気になったら、僕は銀行や赤十字へ行くだろう。
二十五年前のインタヴューで(なので細部はママ)。
Q: 「ウィー・アー・ザ・ワールド」に参加しなかったのは?
A: 寄付ならしている。
訊かれていたのはジェイムズ(ジェームス)・ブラウン。
「チャリティに参加するというのは、それがどんなにピュアな善意に基づくものであったとしても、『良い事をする良い人』としての自分を宣伝し商業的に利用する事になってしまう。そういうプロパガンダ(政治的な宣伝活動)には一切関与したくない」と語っていたのは山下達郎(こちらも記憶に基き書いているので細部はママ、よって文責は人見)。
奥尻島が地震で大きな被害を受けた際、泉谷しげるは自分で勝手に現地に行ったりする等のチャリティ活動を行い、寄付を行った。単なる美談となる事を拒否するかの様に、そのタイトルは「一人フォーク・ゲリラ」、キャッチ・コピーは「お前ら募金しろ!」。という彼らしい言葉を選んだ。
その最中に出演した「笑っていいとも!」のテレフォン・ショッキングで、参加・募金を呼び掛けると同時に「御陰で(自分は)貧乏。次は俺を救え!」と笑いを取った。以降も彼は普賢岳噴火、阪神の震災等に際してもチャリティを行っている。
こういう人々が僕は好きだし、信じる。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’10. (音楽紹介業)
コメント
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いつも自分の独り言にコメントいただいてありがとうございます。
ウィー・アー・ザ・ワールドが出たとき、最初に感じたことは「2匹目のドジョウ、
二番煎じ」といった言葉でした(もちろん一匹目はバンドエイド)。
さらに「つまんない曲だなぁ」でした。
人見さんたちがおっしゃる通り、「いいことをした曲だからいい曲だとは限らない」
というのはそのときから感じていました。ただバンドエイドだけはちょっと違っていて
「ドゥー・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」はかっこいい曲だと思い、
いまでもクリスマス近くになると聴いています。
渋谷陽一さんが言うように「ロックがボランティアをするなんて邪道だ」
というのはわかります。この曲は○○エイド等の一発目だったので、
これはこれで完結していればよかったのですが、このあと続々とフェリーエイドとか
サンシティとか出てきてしまい、挙句の果てに「USA・フォー・アフリカ」という上から目線の楽曲。「あーあ、やっちゃった」と思ったものでした。
ボランティアの考え方は人によって違いますが、それが商業ベースに乗るのはどうかなぁ?と自分も思っています。
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あらけんさん
本稿を掲載するにあたり、どういう反応がコメントに寄せられるのかをおっかなびっくりで待っていました。一人目が「賛」でホッとしております。
この様な考え方がひねくれたものであり、よって賛否両論が寄せられる事を期待しています。それが健全な姿だと思っています。何と言っても無視されるのが一番辛いですから。
『サン・シティ』の様な攻撃的な姿勢で作られた曲は、矢張り姿勢がロックでファンキーなので良いですよね。燃えました。
ライヴ・エイドでボブ・ディランが「アフリカもいいけど、自国の農民も大変だよ」と発言した事から始まったファーム・エイドも、その切っ掛けが痛快でした。
僕はいわゆるエイドものの最初であった「バンド・エイド」の、そのネイミングの時点で、「ああ彼等はこれが結局は救急絆創膏=応急処置にしかならないと解っているんだな」と思っていたのですが、どうやらそれは僕の深読みだったのでしょうか(笑)。
遂には各国首脳と話しちゃうという「行く所まで行く」U2のボーノは逆の意味で凄いと思います。他のメンバーにも呆れられているらしいのですがそれでも行っちゃうのが凄い(笑)。
人見 Like