そりゃあもうアナタ、当然でしょ。
駄洒落で。
ね。
4・9。
シーク(シック)。
実は中高生の頃は未だレコードを買うには至らず、普通にラジオからのエアチェックで済ませていました(とは言え六十分テイプ二本分にはなっていたけれど)。
彼等のプロデュース作である、シスター・スレッジ、ダイアーナ・ロス、デビー・ハリー、デイヴィッド・ボウイー、マドンナ等も、実は当時はエアチェック(ボウイーは誰かのレコードをダビングして全曲聴いてたけど)。
殆んどストーンズと山下達郎だけしか買えなかったからね、高校生迄は。あとはザ・モップスとかスーパートランプとか『孤独なランナー』とかウルトラセブンのサントラとか。中古盤に手を出し始めてプリテンダーズとかピンククラウドとか澤田研二とか(※)。
それよりも(というのも変だが)、当時はひたすらFM雑誌の番組表を隅から隅迄見て、横須賀中央のディスカウント・ストアでカセットを山程買って、それで一杯いっぱいだったのです。
つまり、当時シークは僕にとって、まだ別格では無かった、と。
大学に入り、中古盤店に本格的に「ハマッた」頃にやっと火が点きました。
初めて(今は亡き)銀座ハンターに行った時、セカンド『エレガンス・シック (C’est Chic)』を見付けたのが始まりです。
思い込みかも知れませんが、その時「そうだ、これを買わなくちゃいけなかったんだ。彼等を集めなくちゃいけなかったんだ。」そう感じました。
’85年の春の事。
買い始めたのは遅いのです。
前年出た『ライク・ア・ヴァージン』フィーヴァーが続く中、ナイル・ロジャーズ関係ではミック・ジャガーのファースト・ソロ『シーズ・ザ・ボス』が出た頃。
『ライク・ア・ヴァージン』にプレイヤーとして参加していたバナード・エドワーズとトニー・トンプスン関係ではザ・パワー・ステイションが大いに話題となっていた頃。
やっと僕は、以前から大好きだったとは言えまだ買っていなかった「シークと各メンバーの仕事」を調べて集め始めました。リポート用紙で年表を作り始めて、新情報を知っては書き足して清書、又書き足しては別の紙に。それはもう怒濤の勢いで。
勿論インタネット等無い時代です。日本盤の解説や雑誌、輸入盤店のフリー・ペイパーそしてラジオが頼りでした。
それから十年でナイル・ロジャーズから「He knows everything」と言われ、有頂天になる訳です。
そしてそれから更に十数年。
近年、もうアタシは、
御大ナイルに、
移動中のバスやら楽屋やらで、
「人見、俺がプロデュースした○○のアルバム、何年だっけ?」とか、
「○○のアルバムのドラマーは誰だっけ?」とか、
「△△が出たのは何年だっけ?」とか、
訊かれちゃうレヴェルですから(←自慢)。
嗚呼、何たる倖せ。
来月で、彼等が「イシイ ポップス・イン・ザ・ボックス」に生出演してくれてから五年経ちます。
又、来月、火曜夜の僕の番組で、シーク関係の特集を行う予定です。重いテーマですので夜の枠で実施しますが、宜しければこちらも。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08.
(※)
「ピンククラウドなんか買うの?」
(短期でアルバイトをしていたレコード店の店長)
「澤田研二好きなの?(「ええ」と答えたら)へぇ、珍しいですね。普通は『御姉ちゃんが好きで』とか言って誤魔化すもんですよ」
(中古盤店にて。僕は間も無く常連と化し、数年後にアルバイト店員となる)
余計な御世話だ(笑)!
コメント
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>訊かれちゃうレヴェルですから(←自慢)。
すごいね!さすがだね!好きこそものの上手なれとはこのこと。
いや、なんか、関係ないけど、俺も嬉しいですな(笑) Like
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Taro
いや、関係有るよ!
中一で軟式テニス部に入って(笑)、日曜日に君のラジカセを審判台に乗せて、YMOやキッスやシークを流しながらラリーしたじゃんかよ。下手だったから全然続かないラリーだったけど(笑)。「シック、ナック、キッスって、間が『ッ』なの多いな」とか言い乍らね。
カセットのインデックスを書くにあたっては、「アース、ウィンド&ファイアー」とか「バーブラ・ストライザンド&ドナ・サマー」とか、敵だったね。やっぱり「トト」とか「エム」が最高(笑)。
特に僕は、カセット一本終わったらインデックスを清書する奴だったからね(何で其処迄してたんだろ?)
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