時間を作って、順不同になりますが、「DJ Diary」に掲載した拙文を、解説や後日談を追加して再録します。
先ずは最新のものを。
2007年9月18日の日記。
ジョー・ザヴィヌルが亡くなった。享年七十五。
全盛期のウェザーリポートにハマッた世代は現在四十代半ば〜後半位の方がメインだろうか。尤も50年代から活動をしており、69年のマイルズの電化に大きく貢献している人である(僕にとってはそっちの方が重要)。
今、71年発表の「Zawinul」を聴いている。マイルズの電化直後でウェザーのデビュー直前。それを物語る過渡期の音。ハービー、ディジョネット、ショーター、ヴィトウスが名を連ねているのも如何にも過渡期だ。
キーボードというパートは、楽器(ディジタル後は「機械」になってしまった)の進化につれ「スター」が人ではなく楽器そのものになり、奏者は「使われ」てしまっている気がするけれど、彼は最後迄、楽器をしっかり道具として「使い続け」ていた一人だと思う。そして作曲者としての非凡さも勿論、編曲者として、バンドリーダーとして、優秀だったのだろう。
その検証となるべき選曲を心掛け、何回かに渡って彼の追悼を行う事とした。今夜はその第一回。曲が長めのものが多いので、本当にさわりの中のさわりしか出来なかったのが残念だが、その悔しさを前向きに次回以降に活かしたい。
あ、そうそう、番組ブログという奴を始めてみました。基本的にはソング・リストとその補足説明という無愛想な(でも僕の場合、それで充分な気もしていまして)ものですが、宜しければひとつ。「DJ Index」内、人見の頁からどうぞ。まぁどうぞ。いえどうぞ。さぁどうぞ。遠慮なさらずにどうぞどうぞ。
補遺
ジョー・ザヴィヌル死去、2007年9月11日、享年七十五。
「如何にも過渡期」なのは、マイルズの電化前後のメンバーが参加しているから。
ハービー・ハンコック
クインテット時代よりマイルズ・グループの要。エレピを弾くのをかなり抵抗したらしい。70年代にはヘッドハンターズとしてソロとして、ウェザー・リポートと共にファンク/フュージョン・シーンを牽引。
ジャック・ディジョネット
トニー・ウィリアムズに代わり、マイルズ・グループには電化の頃より加入。
ウェイン・ショーター
マイルズとの長い共演を経て、この時期ザヴィヌルと意気投合、ウェザー・リポートを結成。
ミロスラフ・ヴィトウス
短期間マイルズ・グループに居たという(デイヴィッド・ホランド加入迄のつなぎ的に)。ザヴィヌル、ショーターと意気投合、ウェザー・リポートに参加。
ーしかもアルバム「ザヴィヌル」裏ジャケには、マイルズ・デイヴィスによる賛辞が。
「キーボード云々」のくだりにも説明が必要だろうか。
シンセサイザーがディジタル化し、更にコンピュータのいち機能みたいになってからは特にこの「道具化」の傾向が強くなったと言えるのではないか。最早、楽器ではない、そんな気さえする。
人見 “Hit Me!” 欣幸, ’07.
コメント