もう三ヶ月も経ってしまった事なのだが、是非記しておきたい。
去年のクリスマス、いきなり荒木真樹彦に会った。
しかも京浜急行の車内で。
びっくりしたなあ、もう。
横須賀中央から快速特急に乗った。隣の車両へ車内を移動した時、移ってすぐのボックス・シート(通路側)にその男性は座っていた。「まさか」と、何かピンとくるものは有ったのだが、一旦通り過ぎ、すぐ近くの席に座り、改めてその人物を見た。
見覚えが有った。
少し眠そうだったが、その鋭い眼つきは充分「彼」である事を示していた。
そのエラの張った顎骨。
その痩せ型。
その長身(座っている分、逆に歩いている僕とは顔が近い)。
その広い肩幅(窮屈そうに内側に身体を出していた)。
そうであれば約十五年振りに見る事になるのだが。
間違い無い。
変わっていない。
矢張り「彼」は荒木真樹彦に違い無い。
プライヴェイト時に話し掛けても良いだろうか。悪印象を持たれたりはしないだろうか。
一瞬迷った。
一瞬、ね(笑)
意を決して近寄り、話し掛けた。
「あのう、失礼ですが、荒木真樹彦さんですか?」
彼は少し怪訝そうな顔で僕を見上げ(そりゃあ、この風体の輩がいきなり話し掛けてくれば当然だ)、こう口を開いた。
「ああ・・・、はい。」
嗚呼。
フライ・アウェイ。エドガー・ウィンター。
フライ・ライク・アン・イーグル。ザ・スティーヴ・ミラー・バンド。
フィール・ライク・フライング。ジノ・ヴァネーリ。
フライング。ザ・ビートルズ。
僕は舞い上がってしまった。
荒木真樹彦は、’88年にシングル「1999」でデビューしたミュージシャンだ。ソングライター、プロデューサーとしての活動も多い。
自身の奏でるギターの鋭い音色・フレイズ、ファンクとロックを最終的にポップ・サウンドに仕上げるセンス、そして勿論作曲家・編曲家としての才能、声の持つ艶(むしろ女性に受けるタイプだと思う)と、多くの魅力が有る人だ。
幸運にも、デビュー間も無く、僕は彼を知った。二十一歳、大学四年の時だ。
いつも聴いていたインタヴュー番組「FMホットライン」(NHK-FM、進行役は渋谷陽一)に彼は出演。デビュー・アルバムのプロモーションだった。
その時に聴いた「ラヴ・ミー・トゥナイト」にノック・アウトされてしまったのだ。
その後、
♪1999 世界が終わりそうだね
とデビュー曲で歌われた年迄に荒木真樹彦が残しているアルバムは五枚、
『サイバー・ビート』( ’88)
『ベイビー・ユー・クライ』( ’90)
『カラヤン』( ’91)
『バッカス』( ’93、コンピレイション)
『リアル』( ’95)
全面的に関わったサントラ盤が一枚、
『破妖の剣』( ’92)
自らを含むユニットで一枚、
『スクランブル /リエ・スクランブル』( ’97、藤原理恵[元C.C.ガールズ]との二人組)
丸ごとプロデュース作が三枚、
『夏の王様〜My Blue Heaven〜 /田原俊彦』( ’91)
『もうひとりの私 /笠原弘子』( ’97)
『アッカ /池間アカネ』( ’00)
他、曲単位での提供・編曲は数多い。
特に僕が好きなのは、千葉美加、田原俊彦「ヌード」、中西保志等へのもの。
ちなみに自身名義でのシングルは十一枚出ている。
リエ・スクランブル以降は、彼の名が表に出る形での仕事は少なくなり、また僕自身の更なる洋楽へのシフト(洋楽局である湘南ビーチFMに関わり始めたた影響も強い)や経済的な事情(・・・)等もあって、池間アカネのシングルと、それらも収録された傑作デビュー作『アッカ』以外は手に入れられずにいた。知らなかった。
いや、正確に正直に記そう。
追い掛けていなかった、調べていなかった、と。
申し訳無い。
去年のクリスマスの日、車内で、荒木真樹彦を見掛けた僕は、
前からファンである
コンサートによく行っていた
横須賀に住んでいる
音楽評論家を何とか続けている
等という話をしたと思う。
舞い上がっていたので詳しくは憶えていない。
荒木真樹彦は、こう合いの手を入れてくれた。
「ああ、懐かしい。」
それから、
「ホームページを立ち上げたので、いらして下さい。」
「そこからE-メイルを送れる様にもなっていますので是非御連絡下さい。」
といった事を話してくれたと思う。
舞い上がっていたので詳しくは憶えていない。
横須賀中央から乗った僕は次の金沢文庫で降り、新逗子経由で葉山マリーナーへ向かった。去年のクリスマスは火曜日だった。
「スターライト・クルージン」を放送し、帰宅。
その晩、早速彼のウェブサイトを訪れた。スタイリッシュなデザインが彼らしいと感じた。
まぁ、僕みたいな資料派のファンとしては、提供作品リストは年代順・ジャケ写付きにするべきなのではないか、等と色々と思ってしまうけれど、それは兎も角として。
知らなかった近況が色々載っていた。
バンドを組んでCDを出したりライヴを行ったりしている。ウェブとライヴ会場限定で彼名義のCDを、しかも数百枚限定で出したりしていて、既に多くは売り切れている。デモ音源のCD化も行っていた。
気付くのがせめてあと一年早かったら・・・。残念。
デビューからの数年間、都内で行われた大体のライヴには足を運んだと思う。
ゲスト出演したラジオ番組の公開録音にも何回か行った。
何度か、いわゆる「出待ち」をしてサインをして頂いた事も有る。
彼も好きなミュージシャンのレアな音源をカセットにダビングしてプレゼントした事も有った(メタルポジションだぜ! 自分用には殆んど使った事が無かったのに!)。
九十年代中頃迄の提供作品は九割がた集めた。
そんな特別な対象である荒木真樹彦が「ああ、懐かしい」と僕に言ってくれた。
もしかしたら「昔からファンで」と話し掛けてくる人には皆そう返しているかも知れない。
もしそうだとしても構わない。
嬉しい。
しかも! これにはstyle=”line-height: 1.2;”>後日談が有るのだ!
その晩、仰せの通りに(笑)、ウェブサイト経由で彼にE-メイルを送った。
そうしたらさぁ!
何と、年明けに本人から返事が来た。
こりゃ又どうも、嬉しいどころの騒ぎじゃないってなもんで。
何というクリスマス・プレゼント。
そして何という御年賀。
荒木さん、今後も地道にプロデュース作品を探し続けます。ライヴにも行きますね。
所で、山寺宏一さんに提供した「喝采 Standing Ovation」が中々見つからないんですが(笑)。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08.
コメント
SECRET: 0PASS:どーも。ラジオはいまだに聴けていません…。さて、ここから本題。おぉ!荒木真樹彦さん!!いや、以前人見に紹介してもらって結構気に入っていた日本人アーティストがいたんだけど誰だったかなぁ~、と最近気になっていたのでしたよ。ホントに。それがこのような形で名前が載って、パーッと思い出しました。私にも言わせて下さい。あぁ、懐かしい。そして、ありがとう、人見。いまでも購入できるのかな?あまりに私信なので非公開にしてみました。繰り返しになるけど、ありがとう。すごいタイミングだよ。それと、新年会の忘れ物わ大事に保管しておりますよ Like
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↑上の非公開コメントは、僕の四半世紀(!)前からの音楽仲間がくれた私信でした。荒木真樹彦のデビュー時に僕が騒いでいたのを憶えていたが、その名前を思い出せず最近気になっていたと云う。
役に立てて良かった良かった。こうして「誰かに気付いて貰いたい独り言」を書き続けている意味が有るというものだ。
「誰かに気付いて貰いたい独り言」っていうのはラジオも同じだけどね。あっちはすぐに消えちゃうけど。
「だが歌は永遠に残る(ロバート・プラント)」
宮ちゃん、有難う。
人見 Like
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うらやましい話です。
荒木真樹彦を検索していて偶然きました。
私も20年前くらいでしょうか、サイバービートを偶然ジャケ買いして、それ以来追いかけています。 Like
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ポール様
「荒木真樹彦」の検索で本ブログを訪れて下さる方は多いのですが、彼の記事はこの回しか無いので、きっとがっかりされている事でしょう。申し訳無い。
昨年の二十周年記念(ちゃんと「1999」の発売日に行われた)ライヴも良かったですね。女性ファンの「王子様を見つめるまなざし」が変わっていないのが嬉しかったです。
その情熱を持続させるのに充分な、彼の変わらぬ風貌にも驚きます。
藤原理恵も奇麗でした。
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去年書きましたポールです。
今はポール牧と荒木真樹彦をあわせてポール真樹彦と名乗っています(笑)
久しぶりに荒木真樹彦検索していて、やっぱりまたここにたどり着きました(笑)
私は沖縄住まいなので、直接見るのは困難なのですが、いつかは生荒木真樹彦を見れる日を夢見て、しっかり稼いでいずれライブにいきたいものです。
それではまた来年きます(笑) Like
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ポール真樹彦様
イカした名前です。そういうセンス、好きです。
彼の公式ウェブサイトで、十二月の公演が発表されていますね。
近畿もあるじゃないですか。
近畿や九州(出身は佐賀ですね)の公演、タイミングを見計らって行かれてみては。
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