ラリー・レヴィン (Larry Levin) が亡くなった。
五月八日没。肺気腫。享年八十。
エンジニア、ミクサー。つまり、スペクター・サウンドを最終的に具体化した人と言って構わないだろう。
※ラリー・レヴィン追悼は、近日中にイシイ ポップス・イン・ザ・ボックスで行う事にしました。
(何せ彼の名を意識してからまだ四半世紀という程度で[四、五十年前の事ですから、まだまだです]、しか「も夢中で」とは到底言えない関心で得た、所詮は付け焼き刃の知識ですので、間違っている情報が有りましたら誰方か是非御教え下さい。)
フィル・スペクター・サウンド、いわゆるウォール・オヴ・サウンド。
その王道といえる楽曲は、
フィル・スペクターの統率のもと、
フィル・スペクターとレスター・シル(※)のフィレス・レコーズから、
フィル・スペクター、エリー・グリーンウィッチ、ジェフ・バリーが書き、
ジャック・ニッチ(※)が編曲し、
L.A.のスタジオ・ミュージシャン達、通称レッキング・クルーを揃え、
楽曲に合った声とキャラクターを持つ歌い手を、子飼い状態の歌手の中から選び、
(歌手の重要性は、少なくとも他のプロジェクトよりも低かったと言って良いのだろう。)
それを、ゴールド・スター・スタジオで以前から働いていた
ラリー・レヴィン(※)がマイクを立てて録音しミックスし、
モノーラルのドーナツ盤として発売された。
此処迄揃って、初めてプロデューサー=スペクターの望む最高のものとなったのだと思う。
僕の知る限り、上記のメンバー・条件が初めて揃ったのは、
Da Doo Ron Ron (When He Walked Me Home) /The Crystals, ’63.
だ。いきなり完成形であった、という。最初から何て高いハードル。
(※)故人
コンピレイション盤に、一曲毎にわざわざアレインジャーとエンジニアの名前が明記してある(殆んどのエンジニアがレヴィンだ)。その事実だけでも彼が如何に特別な位置に居たのかが理解出来るだろう。
この三月にスペクター研究本唯一の邦訳「フィル・スペクター 甦る伝説」が増補改訂新装版として十八年振りに復刻された所だった。「これは手に入れておかないと」と大奮発して購入してある(未読了、大体、旧版も通読した記憶が無い。トホホ・・・)。
ソフト・カヴァーになってしまったのは大いに不満だ。購入した人物は、ハード・カヴァーの初版に代わり、参考文献として今後は本書を何度と無く手にするだろうから(少なくとも僕はそうだ)、出来ればタフな使用に耐える装丁にして頂きたかった。
その「参考文献」としての最初の使用例が、この訃報のフォロウになってしまった。
スペクター本、しっかり頁を繰った事がまだ無いんだから、初版と重なる部分(実は殆んど)は初版で読むべきなのかなぁ・・・。どうでも良い事で悩む奴。
で、その本に載ってるラリー・レヴィンの写真がさぁ、これ又、良い目つきなんだよねぇ。良い仕事しますよ、こんな眼をした人はさぁ。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)
コメント