(フェイスブック初出の拙文を転載)
個人的には彼女はアイドルでも大好きな歌手でも蒐集対象でも無い。でも彼女の様な「スター」は居ないと困る。王者/女王が居ないと面白くない。ときの王者が強大であればある程、それを倒そうとする勢力や後継を狙おうとする勢力の争いが激化し、シーンを活性化させるからだ。
ウィットニー・ヒューストンが Paul McCartney,Michael Jackson,George Michael,Diana Ross,Gloria Estefan,Mariah Carey等と王座を競ったあの時期、音楽シーンは何と華やかだった事だろう。頂点として、同時に広告塔としての役割も引き受ける覚悟もしつつ、彼女には圧倒的な存在感を誇示し乍ら君臨していて貰いたかった。これはもう、努力や戦略ではなく才能の問題。そういう星の下に生まれた人物が、努力を惜しまない部下や優秀な…戦略を持つスタッフを得て達成させる。残念な事にその側近の中に優秀な「世話係」が居なかったのだろう。
良く知られる様に、彼女はショウビズにどっぷりという環境で育った。母シシーはアリーサ・フランクリンの名コーラス隊=ザ・スウィート・インスピレイションズのリーダー、従姉妹はディオンヌ・ワーウィックである。高校生の頃にシャカ・カーンのレコーディングに参加したりもしている。「あの娘は芸能界を昔から解ってるから大丈夫」と周囲も油断していたのだろうか。
以上の様に僕は彼女に対し、どうしても状況論、客観論という距離感を持たざるを得ない。死ぬなり「ファンでした」と豹変する奴にはなりたくない。
いちミュージシャンとしての彼女には、僕はあまり夢中にならなかった。あまりに王道、あまりに「どソウル」「どブラコン」だったから。元々、プロデューサーとしてのナーダ・マイクル・ウォーデンが苦手だった事もある。ベイビーフェイスもデイヴィッド・フォスターも同様の理由で昔からあまり得意では無い。そういう裏方の中に、僕が興味を持つ人物がとても少なかった。ポップよりロック、ソウルよりファンクという志向が昔からある僕には、バックのサウンドが少し物足りなかった。
しかしそんな僕にさえもその動向は逐一知れる程の存在だったし、何よりあの圧倒的な声には抗し難いものがあった。ファーストとセカンド、そしてその時期のシングルは持っている。
因みに僕にとっての彼女のベストはアルバム・デビュー前の客演、ポール・ジャバーラのアルバムでの「イターナル・ラヴ」とムティーリアル(マテリアル)のアルバムでの「メモリーズ」だ。
(一応言い張っておくけれど、ピーター・バラカンが著書でこれらの曲を彼女のベスト・トラックとして挙げるより前から、僕はそう思っている。確かに彼からの影響は大きいが、元々の志向が近いと[不遜を承知で]思う事が有る)
十数年前に、そんな想いと共に、ラジオの番組で特集をした。女王の座に返り咲いてくれる事を願いつつ。しかしその後の活動でその願いが叶う事は無かった。そして昨日でその可能性は完全に断たれた。
又、何とつい四日前に、ウィットニーで洋楽の世界に入ったという友人と話をした所だった。彼女から「今は映画『スパークル』の撮影中」と聞いた。七十年代の映画のリーメイクで、その時の音楽担当はカーティス・メイフィールド、歌はアリーサ・フランクリン。彼女名義でサウンドトラック盤も発売されている。
何度目かのカム・バックに向けての良い御膳立てが進んでいた所だったのに。
ジョン・レノンやマイクル・ジャクスン同様、彼女を殺したのは僕等だ。極端な言い方と思われるかも知れないけれど、少なくとも僕等は、彼女が活躍するべき場所を提供する事が出来なかった。
また明日から、♪あんだ〜〜〜いあ〜〜〜しか知らない奴がTVで「大好きでした」と語るのだ。嫌だ嫌だ。
人見欣幸
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