Linda Ronstadt
リンダ・ロンスタット(ロンシュタット)
がパーキンスン病(パーキンソン病)に罹患している事を公表した。
こちらはロッキング・オンのウェブサイト。八月二十三日の記事を出典としている。
「声が出せなくなった」という理由で二年前に引退している(知らなかった)。病名が判明したのは八ヶ月前。七〜八年前から手が不自由になっていたそうだが、それがその症状だとは思っていなかったという。
辛い情報だ。
僕が洋楽にハマりだした七十年代末は、彼女がロックの女王に君臨していた後期と言えるだろう。「バック・イン・ザ・U.S.A.」「ウー・ベイビー・ベイビー」が日本のポップス・ベスト10にもチャート・インしていた時期。
それから四年後に、彼女は『ワッツ・ヌー(ホワッツ・ニュー)』を発表、「もともと歌の上手いロックン・ローラーはポピュラー・ソングも歌えちゃうのよ」という路線でヒットを飛ばす先例となっていく。七十年代前半から半ばの西海岸ロック全盛期、彼女こそがアイドル、「リンダ姫」だった数年歳上の洋楽ファンの先輩がたが「リンダ、何でそうなっちゃうんだよ〜」と嘆いていたのを思い出す。
でも僕は割と素直に「へぇ、この元気お姉さんは何でも歌えちゃうんだなあ」と感心していた。ロック云々、イーグルズやジャクスン・ブラウンとの親交云々というより、「カヴァー・ヒットでオールディーズへの扉を開けてくれた先生」という側面の方が僕にとっては重要だったからだろう。
上記の
Back in the U.S.A.
Ooh Baby Baby
他に
The Tracks of My Tears
That’ll Be the Day
Blue Bayou
Heat Wave
It’s So Easy
といった曲は間違い無く彼女のヴァージョンで知り、好きになり、カヴァーだと知ってオリジナルをFM雑誌の番組表で探して聴いた。そして好きになり、初期ロックン・ロールやリズム&ブルーズへの道筋をつけてくれた。
当時のFMは「音楽(主に洋楽)ファンの為のバンド」だったから本当に勉強になった。幸福な時代。
勿論、その美貌にもやられたけれど、でも音楽が先だった。
ホット・パンツにローラースケイト、顔アップでこちらを凝視、ホテルだか楽屋だけでのラフな格好、弾ける笑顔、寂しげな横顔、胸ポッチンといったアルバム・カヴァーでの「クリックリ眼をした美女の七変化」というのも堪らなかったけれど、そういうヴィジュアルは後で知ったのだし。又、リアル・タイムで聴き始めた直後から(『ゲット・クロウサー』辺りから)ふっくらし始めて、それを少し隠し始めていたしね(笑)。
兎に角、音が、歌声が先だった。その時点で好きになった。
それに、ルックスでいえば当時の新人だったニコレッタ・ラースン(ニコレット・ラーソン)の方にドキドキしていたかな。
まぁそれは兎も角。
先輩達のがっかりをよそに、彼女はその後も「ロック」ではない大きな「音楽」の大歌手として、彼女はずっと君臨し続けている。その歌唱力、魅力的な声を武器に、あらゆる音楽に挑戦し自分のものにしている。ニュー・ウェイヴ、スタンダードもの、ディズニー主題歌、ラテン、カントリー、子守唄・・・。
なんでも本国アメリカでは、どんなジャンルの新作を出しても、ラジオ局はジャンルの枠を飛び越えて「リンダの新作!」として紹介しているという。
別格なのだ。「歌手」として。良い話だ。
子守唄アルバムでのクイーン「ウィー・ウィル・ロック・ユー」のカヴァーには脱帽したものだ。
僕は『ワッツ・ヌー』三部作の頃に美空ひばりを連想していた。あながち間違いではないのだろう。
そんな彼女が歌えなくなっている。本人のがっかりが伝わってくる記事だ。読む者全員が同じ想いだろう。
でも「悲報」である。まだ「悲報」である。その先の「更なる、最終的な悲報」ではない。そう言い聞かせている。その報せはまだ耳にしたくない。
先月で六十七歳。
本人監修の旧譜再発等、まだまだ何かしらの形で音楽活動を続けて頂きたい。
来月、自伝が刊行されるという。そのタイミングでの公表というのがいかにもウェスト・コースト・ショウ・ビジネスという感じだが、何故かいやらしく感じない。それはきっとリンダ姫だからだろうなあ。
ひとまず、御大事に、と。がっかりされているのを慰める事は不可能です。でも我々も同じ想いですのでそれだけでも伝わると嬉しいです、と。
それが彼女に届く事を願って。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’13. (音楽紹介業)
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