【2014.1.21.加筆】
一月十六日に亡くなった。
享年六十一。
二十日に御子息である音哉氏が公表。
発見から十ヶ月、闘病を公表してから五ヶ月。その精神力に感服。
彼が作った音楽は、好きも苦手も色々有ったけれど(考えてみれば殆んどのミュージシャンが作る音楽がそうだ)、どれも面白いものだった、つまり刺激的なものばかりであった事は特筆に値すると思う。
今後も彼が面白がる、生きていたらプロデュースしたくなる音楽が生まれ続ける事を願う。
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佐久間正英が、
今年の四月上旬、スキルス胃ガンのステージVI(末期)発見
七月中旬過ぎ、脳腫瘍発見
八月三日、肝臓(多数)と脾臓への転移発見
そして八月十四日に脳腫瘍の手術を受ける
という事を、八月九日付けで公表した。
冷静な筆致から、「戻ってくる」という強い決意が伝わってくる。
中学生の時、プラスチックスの、無表情のままキーボードを操る怪しいお兄さんとして彼を知った。動いているのを見たのはおそらくTVK「ファイティング ’80」か「パイオニア ステレオ音楽館(東京12チャンネル[当時])」が最初プラスチックス、ヒカシュー、P-モデルという「テクノ御三家」をフィーチュアした週)。
間も無く前歴として四人囃子のメンバーであった事を知り、近年は The d.e.p.(佐久間、ミック・カーン、屋敷豪太、土屋昌巳、ビビアン・スー、2001)、早川義夫との Ces Chiens(セ・シアン、2003〜)が話題となっている。
プロデューサーとして、
P-モデル
ザ・ブルー・ハーツ
ボウイ近辺
ザ・ストリート・スライダーズ近辺
ジュン・スカイ・ウォーカーズ
エレファントカシマシ
くるり
ソウル・フラワー・ユニオン
ジュディ&マリー
グレイ
ラルク・アン・シエル
等、数多くの作品を手掛けてきている。
「日本のロック」の進化・深化、マーケットの巨大化、シーンの成熟を推進してきた一人だ。
まだ六十一歳。
手術の成功を心から祈る。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’13. (音楽紹介業)
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