246 目撃した男。【本編】

スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Sly & The Family Stone.
 来日公演に際して。来日公演を観て。

○吉岡正晴氏によるコンサート詳報はこちら。
8/31
9/2 (二回公演)
 スライに限らず、吉岡氏のリポートは、バンド・メンバー、登場時刻や演奏時刻(!)等、常に資料性がとても高いです。
 今回のスライも、三回全ての情報を入手出来ます(全て御覧になっていらしてイヤハヤ羨ましい)。
 翻って、以下に続く僕の本文には8/31のセット・リストしか掲載していません。主観的な補足でしかない事を前置きしておきます。

 又、案の定、長い文章となってしまいました。時間の有る方は此処の「more」をクリックして、続く本文をどうぞ。


関連:
来日発表の報
番組(来日発表時)
目撃した男【予告】
ブルー・ノート公演の速報
番組(来日後)

 当に来た。

Sly & The Family Stone
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
 スライ・ストーンが本当に来日した。
 スライ・ストーンが本当に舞台に立っていた。

 「コンサート鑑賞」や「ライヴに参加」という様な感覚では無い。「遭遇した」という形容が適当である様に思う。
 凄いものを見てしまった、という。
 事故を見たとか事故に巻き込まれたとかいう様な。

 僕が見たのは八月三十一日、「東京ジャズ」での彼等だ。初来日公演の初日。
 二日後のブルーノート東京公演は、電話予約が繋がらずに取れなかった。
 電話をかけまくるなんて何年振りだったのだろう? 今世紀初だったかも知れない。 

八月三十一日。
於・東京国際フォーラム ホールA。
ロベン・フォード、サム・ムーアとの共演となった昼の部。
トリだった。

Dance to the Music
Everyday People
Don’t Call Me Nigger, Whitey (intro)

↓(スライ・ストーン登場!)
Don’t Call Me Nigger, Whitey
Family Affair
Sing a Simple Song
Stand!
If You Want Me to Stay
I Want to Take You Higher
↑(スライ・ストーン途中で退場!)

Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)
Thank You for Talkin’ to Me Africa

(encore)
I Want to Take You Higher (includes band members introduction and solo)

 ンドは、気紛れなスライが舞台に出ても出なくても、演奏を続けられる体制を敷いていたと思われる。極端に言ってしまえばスライ不在でも成立する演奏が出来る様にしてあった、と。
 そんな仮定をして考えると、この日、スライは長い時間舞台に立っていたのだと思う。三曲目から、本編の最終曲の一曲前迄、上記の吉岡氏のブログによると三十六分間、彼は我々の前にその姿を見せていたのだから(現に火曜日の二回の公演は、それぞれ登場は三曲だったという)。

 スライが何時(いつ)舞台に出てくるのかは、バンド・メンバーも分からないのだと思われる。曲が始まった途端にスライが登場したらその曲が中断したからだ。僕の心臓の鼓動も一瞬止まったかも知れない(笑)。

 三曲目「ドント・コール・ミー・ニガー、ワイティ」をギターリストが奏で始めた。スタジオ盤同様に、トーキング・モジュレイターを通したギター&ヴォーカルでそのイントロが奏でられたので興奮した。ヒット・シングル以外は演奏しない、いわゆる「グレイテスト・ヒッツ・ライヴ」、悪い表現で言えば「営業・ディナー・ショウ選曲」だと思っていたので、この大好きで過激な一曲を演ってくれるとは思っていなかったからだ。ギターリストに歓声を贈った。周りの数名も大いに興奮して叫んでいた。

 しかし、曲が始まった直後、それに対してではない、どよめきに近い拍手と歓声が巻き起こった。
 スライ・ストーンことシルヴェスター・ステュワートが姿を現したのだ。

 近くで観ていた者の贅沢な不満になってしまうが、実は僕は、不覚にも舞台下手から登場したスライ・ストーンの、その登場の瞬間を見逃していた。
 ギターリストは舞台上手、僕は十列目ぐらいの中程に居た。つまり舞台に向かって少し右に向いていた事になる。
 スライは下手から登場。僕が気付いた時は、もう、いきなり舞台中央に居た。不意を突かれた。そのインパクト。

 拍手と歓声、どよめき。
 演奏は中断した。

 只ただ、舞台の下手袖から普通に歩いて来ただけなのに、オーラが凄い。
 金ピカのガウン(?)を羽織っていた。かなり痩せている。健康的には見えない。サングラスをしている事もあり、表情はハッキリと判らないが、ないが、ないのだが。

 口もとは嗤っている。ニヤケている。

 『グレイテスト・ヒッツ』の裏ジャケで見せていたあの口もとだ。

 当だ。ホントだホントだ。ホントだホントだホントだ。本物のスライだ。
 その「降臨」具合は、後の『P. ファンク・アース・トゥアー /パーラメント』のアルバム・カヴァーのジョージ・クリントンっぽい。しかも服は金ぴか。

 そして、両手とも上に上げてのピース・マーク
 ’80年前後にはPファンクに合流していたスライだが、彼等の「Unite」マーク(人差指と小指を立てて「U」に見立てる)では無かった。
 矢張りスライ&ザ・ファミリー・ストーンはピース・マークだよね。

 そして三曲目が改めて始まった。ギター&ヴォーカルは、スライによるヴォコーダーを通したヴォーカルに変わった。スライは舞台中央のキーボードを操る(一応ギターも置かれていたが、結局手にしなかった)。

 歌っている。でもヴォコーダー通しなので、しかもギターリストも先程同様にモジュレイターを通して同様にユニゾン状態でやっているので、細かい所は判らない。

 凄い猫背で、丸い回転椅子(いわゆるドラム椅子、キーボード椅子)に座っている。キーボードの後ろに隠れている様にしている。’69年のライヴ「ウッドストック」の時と同様、正面をあまり見ない。横か下を見ていることが多い。居心地が悪そうだ。

 の映画「ウッドストック」を観た時に特に感じたのだけれど、ウッドストック仲間で言えばザ・フー、ジミ・ヘンドリクス、サンターナといった面々、ファンクで言えば御大JBやジ・アイズリー(アイズレー)・ブラザーズ、後輩各のPファンク一派、EW&F等と比べて、スライは舞台で大観衆を相手にしているのを楽しんでいない様に思った。パフォーマーとして、煽り役として、逆に晒し者として、聴衆の前に居るという事ヘの覚悟が無い気がした。TVショウや他のライヴ映像(実はブートに少々手を出しておりまして・・・)でもそれは感じる。
 単にドラッグでヘロヘロなのかも知れないけれど(笑)。
 きっと、良くも悪くも繊細過
ぎた
のだと思う。

 ラジオDJやレコーディング・プロデューサーとしての活動歴も影響してか、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイアー」での語りかけも、目の前の観客ではなく、何処かで聴いてくれる誰かに虚ろに語りかけている様な、不気味な距離感を感じた。
 他のザ・ファミリー・ストーンのメンバーはとても楽しんでいる様に見えたので、殊更にその「痛々しさ」が気になっていた。ずっと気になっていた。

 れを思い出し、今、目の前に居る男が確かにスライ・ストーンなのだと、妙な納得もしていた。
 ちなみに、’70年迄のオリジナル・ファミリー・ストーンのメンバーが、スライも含めて今回は四人居る。これも素晴らしい事だ。

 彼の生歌声は次の「ファミリー・アフェア」で聴かれた。
 驚いた。
 ちゃんと歌えているではないか!
 以降、退場迄、僕は彼のその「歌声の復調」に驚いていた。流石に二十代後半の全盛期に迫るとまでは行かないまでも(現在六十四歳なのだから無理も無い)、少なくとも去年の欧州トゥアー映像等で聴かれた弱々しい声よりもずっと力強くなっている。
 驚いた。

 楽曲の構成・編曲は基本的にはオリジナルに近かった。但し全体にテンポは遅め。これも年齢に合わせての事だろうか。
 アルバム『スタンド!』収録曲が多かったが、その後の『ゼアズ・ア・ライオット・ゴーイン・オン(暴動)』『フレッシュ(輪廻)』期っぽい混沌が味付けとして加えられていた。
 その是非は兎も角として、’69年の自身のコピー・バンド状態になっていないのは、「その先」に進んでいこうとしているのは少し嬉しかった。
 もしかしたらグレッグ・エリーコとラリー・グレアム(グラハム)が居ないからパワフルさに欠けていた、というだけなのかも知れないけれど、明言はしないでおこう(笑)。

 でも、会場で久々に御会いしたエスカレーターズの川西浩之さんの方が良いベイスを弾くんじゃないかと思ってしまったのは事実だ。彼も「俺に弾かせろ!」と思ったのではないだろうか?

 かし・・・。
 「ちゃんとしている」と言っても、どうしても「思っていたよりも」という言葉に続くそれになる。冷静に観ればこのバンド・リーダーは明らかに「変な人」だった。
 おそらく「そろそろこの曲、終わるよ〜」という合図代わりなのだろうけれど、背もたれの無い丸椅子に猫背で虚ろっぽく座ったまま、完全に演奏を放棄し、両手をダラ〜ンと脱力されて下におろし、遊びに飽きた子供が「もぉやだ」とするかの様にぐるぐると回るのだ。曲を終える頃に毎回。
 不気味だった。不気味過ぎて、途中からこっちも笑い始めてしまう程に。

 そんな挙動不審のスライ・ストーンを観て改めて感じた。
 この人に、もう少し、言い意味で神経の図太さがあったら、もう少し、心臓に多めに毛が生えていたら、もっと堂々と舞台をこなせる、それを営業っぽくても良いから続けていける精神力が有ったら、と。
 JBやプリンスぐらい自意識過剰気味に観衆にアピールする気が有ったら、と。
 ジョージ・クリントンぐらい人身掌握術に長けて、商売っ気が有って、楽観的だったら、と。
 そうしたら、こんな「かくも長き不在」はしないですんだのではないかと感じてしまった。

 でも、そういうひとではなかったから『暴動』を作ってしまったのだろうけれど。
 そういうひとではなかったからこそ、『フレッシュ』を作れたのだろうけれど。

 十年代半ばに、(結局、完全復帰は実現しなかった)スライのカムバック・プロジェクトがあった。僕の様に遅れてきたスライ・ファンからすれば、新曲としてスライの歌声が聴けただけでもかなり嬉しいものがあったが、正直に言えば音楽的には高く評価出来るものでは無かった。
 その中で作品として形になった一つ、映画『バーグラー』の主題歌「アイム・ア・バーグラー」のプロデューサーはバナード(バーナード)・エドワーズ、ドラマーはトニー・トンプスン(トンプソン)だった。
 バナード(バーナード)・エドワーズから聞いた話として、ナイル・ロジャーズ(ロジャース)が、来日中にメンバーとしていた雑談によると、スライが歌入れの途中でトイレに入ってドラッグをキメてしまい、ずっと出て来なかった、などという事があったという。

 そんな事があった人の二十年後と思えば、実物を見ただけでも充分だという気がする。

 近ではザ・フーに対して「奇跡の来日」という言葉が、本当にそれに相応しい使われ方で使われた。四年前の事だ。フェスティヴァル出演者のひと組、つまりフル・サイズの演奏内容では無かったが、確かに奇跡だったと思う(※)。

 しかし、スライと比べたら「奇跡」の種類が違う。

 ザ・フーは断続的にではあるが活動していた(最近は活発に)。各メンバーの最新情報もそれなりに伝わって来ていた。つまりずっと現役で居続けている。
 スライは違った。
 音楽活動どころか、生存さえも疑われている時期が有ったのだから。
 数年前には「ロンドンでスライ・ストーンを目撃!」というのがニュースになった様な人なのだから。
 「まさかの社会復帰」という所から始まる話なのだから。

 「人が来るのか不明」というままおこなわれた、スライ&ザ・ファミリー・ストーンを讚えるという、一昨年のグラミー授賞式でのパフォーマンスでの数分間の出演(この時はナイル・ロジャーズが共演している)、去年の演奏活動再開そしてトゥアー(含モントルー)からの流れでの来日なのだ。来日決定の報からずっと、実物を観た後の今でさえ、「あれは何だったのだろう?」という様な、実物を見たという実感が湧かない程の「奇跡」だ。

 は、公式発表音源に関しては割と細かいものまでフォロウしているつもりだが(※※)、そこ迄の関心が無い人からすると、最後のオリジナル・アルバムからでも四半世紀以上経っており、しかもその頃はすっかり落ち目だった。

 特に日本では、黒人音楽にさほど関心の無い洋楽ファンにまで浸透する程の知名度は今も無い。いわゆる「ソウル」の中でも、非常に特殊な位置におり(「歌もの」ではないのが主因だと思う)、その意味では、ファンク界のカルト・ヒーロー的な存在だ。

 「スライが好き」という人と久々に会ったり、知り合いになったりする度に交わされる会話は「所で今は何をやってるんだろう?」だった。スライ・ストーンは、黒人音楽ファンの間では「今、何やってるの? まだやってるの? 大体生きてるの?」という話題になる人物の筆頭だった。「『死んだ』っていう話も聞かないから、多分生きてるんだよね。」というオチが常だった。だから、パフォーマーとしての彼を、しかも日本で生で見られるなんて、本当に夢にも思っていなかった。

 なみに、本国アメリカでは音楽史上の重要人物としての評価はずっと続いている。その証拠に、レコードの時代も、CDになってからも、アメリカ本国では、全盛期の数枚は廃盤になる事無く、再発売され続け、ずっと新品として店頭に並べられ続けている。メイジャー・デビューから四十年の年であった去年は、全盛期の殆んどのアルバムがボーナス・トラック入りでリマスター再発売され、話題となった。日本でも同内容のものが紙ジャケ仕様で再発売され、そこそこ話題となった(売れたのかなぁ?)。

 回、実は来日決定という報せを聞いても、「それはどういう事なのか」「どう対応していいのか」が解らずにいた。観てはいけないのではないか、という気もしていた。「怖いもの見たさ」的な好奇心も湧かなかった。
 只ただ、それを思うと不安で心臓がドキドキするだけだった。
 手放しには喜べなかった。

 しかし。
 本当に「次」は無いだろうと、矢張り考えてしまう。

 八十年代の、結果として頓挫してしまったカム・バック・プロジェクトから二十年。
 最後のアルバムから二十五年。
 ピーク時から三十五年から四十年。

 運良く、チケットも入手出来た。

 奇跡を目撃した。それに立ち会えた。

 良かった。

 「人」としての復帰を先ずは祝したい。
 よくぞ此処迄復活してくれたと、先ずはそこを祝おう。
 二十年ぐらい前にブライアン・ウィルスンが復活した時の様に。
 スライはまだ新作を出した訳では無いけれど。

 しかも、想像以上にちゃんとしていたので、もしかしたら再来日もアリなのではないか、と思い始めてしまっている。

人見 ‘Hit Me!’ 欣幸, ’08. (音楽紹介業)

(※)とても下世話且つ不謹慎な裏事情になってしまうのだが、書いておきたい。
メンバーが二人になり、ギャランティがかなり落ちたから日本に呼べる様になったのだそうだ。
納得はするけれど。

(※※)「レコード・コレクターズ」誌、昨年六月号に掲載されている拙文を参照して頂けると有難い。

人見 欣幸

音楽紹介業(ラジオ、活字、ライヴハウス、インタネット等で音楽を紹介)
1967年神奈川生まれ・育ち・在住
1978年より洋楽中心生活者
1991 文筆デビュー
1995 ナイル・ロジャーズにファンレターを渡す(交流開始)
1997 レギュラーラジオ番組開始
2011 Nile Rodgers/CHIC応援組織 "Good Times" を内海初寧と結成、同年よりウェブ番組 "Good Times TV" 開始(13年まで)
2019 新メンバーを加え、六月より "Good Times Tube" としてウェブ番組を復活

■favorite musicians:
Nile Rodgers,Bernard Edwars&Tony Thompson
山下達郎,伊藤広規,青山純&難波弘之
竹中尚人,加部正義&ジョニー吉長

GOOD TIMESをフォローする
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
その他、個人活動
スポンサーリンク
スポンサーリンク
GOOD TIMESをフォローする
GOOD TIMES | グッドタイムズ

コメント

タイトルとURLをコピーしました