「タウンニュース横須賀版」連載
Hit Me’s YOKOSUKAN Pop/Rock File
〜横須賀ゆかりの音楽や音楽家について、つらつらと〜
再録
(2007.3.2. 号初出分)
第五回
東京ビートルズ
本文:
本連載の開始時に行われた打ち合わせで、担当氏よりこの名が挙がった時は驚いた。帰宅してアルバムのブックレットを開くと、黒沢 進の解説中に「横須賀のキャバレー“グランド・オスカー”に出演し修行を積んだ」との記述が。大瀧詠一の解説入手が主たる購入理由だったとは言え、見落としていたとはイヤハヤ参ったネ、こりゃどうも。
時は昭和三十九 (1964) 年三月。集めたのは雪村いずみの事務所だという。前月に起こったザ・ビートルズの全米制覇(一年ほど無反応だった分、一気呵成・怒涛の勢いとなったのだ)を受けて急遽結成、約二週間の練習後に十五日より横須賀へ。四月に入るなりTV・雑誌デビューそして下旬には早くもデビュー盤を発売。機敏な対応には感心するが、考えてみればその一年前から大変な事になっていたイギリスの状況は気にも留めず、アメリカさんの様子を見てバタバタと、というのが実にニッポンらしいところ。
歴史的には、彼等はパラキンと GS の間に咲いた(散った?)徒花という事になるのだろうか。旧来のジャズ/和製ポップスの手法でザ・ビートルズをカヴァー(輸入)するのは無理があるという事を、身体を張って自虐的に証明してしまったのだ。
しかし「横須賀で修行」か…。「横須賀ジャズ」の時代である。耳の肥えた客 (含米軍人) を相手に「修行」をする場だったのだ、当時の横須賀は。あれ?でも…、三週間弱程度?!
グランド・オスカーでの東京ビートルズを御存知の方はいらっしゃいますか?
写真:「meet the・東京ビートルズ」アルバム・カヴァー
写真下キャプション:
meet the・東京ビートルズ
作詩:漣健児 編曲:寺岡真三
1964年発売のシングル二枚全四曲を ’94年にCD化。
仏教伝来にまで辿り「日本に於ける外国文化の導入」の共通点や問題点を綴った大瀧詠一の解説は何度読んでも素晴らしい。
プロフィール:
音楽紹介業。67年生まれ。津久井小、北中、追高出身。洋楽依存症歴28年。
FMブルー湘南(横須賀78.5MHz)、湘南ビーチFM(逗子葉山78.9MHz)にて音楽番組を担当中
ひとこと:
横須賀と無関係なので略していますが、二松学舎大学文学部卒。更に理屈っぽくなったというだけですが(笑)。
補遺
黒沢 進:
GS 研究家。GS の体系化・再評価・後世への語り継ぎに計り知れない貢献をした。愛と資料に充ち満ちた著書は数多い。
本稿掲載の翌月に五十二歳という若さで急逝。何という悲しい偶然。
中学の時に「最後のウエスタン・カーニバル」をTVで観たり(※)、高校の時に渋谷陽一の「サウンドストリート」でザ・ゴールデン・カップスやザ・モップスを知りレコードを購入、当時やっていたバンドで「朝まで待てない」「御意見無用(いいじゃないか)」を歌ったりする等、GS に(やっと)興味を持ちつつあった僕にとって、彼の著書の出版・普及が僕の大学時代と重なっていたのは正に渡りに舟、本当に幸運だった。
ゴダイゴ聴いてたのにミッキー吉野が元カップスなのを知らない小学生だった、ジョルチャー/ピンクラが大好きだっていうのにルイズルイス加部が元カップスなのを知らなかった中学生だったんだからね。ジュリーが元ザ・タイガースっていうのは流石に何と無く知ってたけど。
一年ほど無反応:
ザ・ビートルズは本国英国では ヤ62年暮れにデビュー、翌年には一大センセイションを巻き起こしていたのだが、米国キャピトル・レコーズがそれらを全米で大ヒットさせるのは ユ64年に入ってから。つまり一年半分の名曲の数々が次々とシングル・ヒットした。
しかもそれが、
(「ツケ」分:)
Please Please Me
Twist and Shout
Do You Want to Know a Secret
Love Me Do
I Saw Her Standing There
P.S. I Love You
(新曲:)
I Want to Hold Your Hand
She Loves You
Roll Over Beethoven
All My Loving
Can’t Buy Me Love
等など。
しかも当人達の「ザ・ファースト・U.S.・ヴィジット」でキマリ。そりゃあもう「嫌がらせ」に近い怒濤の攻勢(笑)。
だから「チャート上位五曲独占」等といった事が起きた。一年分のツケがど〜んと来た、という訳。
そしてその年の後半には『A Hard Day’s Night』。もう止まらない。
パラキンと GS の間:
尚、カップスのマニジャーは東京ビートルズの元メンバー!(2004年公開の映画「ザ・ゴールデン・カップス ワン・モア・タイム」内で本人談)
(※)演奏に感動したのは勿論だが、一緒に観ていた父が隣で「このバンドは誰々が居てヒット曲がこれこれで云々」「この人は作曲家になった云々」「ブルー・コメッツはレコード大賞も取ったし短髪にスーツ姿だったからNHKの紅白に出られたんだ」等という説明を、画面スーパーよりも先にしたのにも驚いた。
で、スーパーを指差し確認して「な? 言った通りだろ?」と得意顔になる父。
完全にこの人の子だったのだな、と(笑)。
当時の父は三十代半ば。今の僕よりもずっと若い・・・。
人見 ‘Hit Me!’ 欣幸 (音楽紹介業)
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